【第2章までのあらすじ】日本の最西端・西果(さいか)市の西果中央病院は医師不足で崩壊寸前。状況改善のために初期研修医の確保を命じられた内科医矢倉健(ヘタレ)は、美人で勝ち気な看護師・紺野さくら、地域研修で赴任した初期研修医・渡部友恵、オタク医学生・山田拓也のアシストを得て、西果中央病院の大PR作戦を始めることになる。
※第3章第3話まではバックナンバーからご覧ください。

 トミさんの容態の変化は健の予想よりも早かった。
 おかみさんに説明した次の日の夕方、健は友恵と山田に何をすべきかを詳しく話していた。
 大きな病院で研修する研修医は、3次救急で救命しえなかった死を経験することはあるが、慢性の病気の患者の死、いわゆる普通の死に遭遇することは少ない。医学生の山田はともかく、初期研修2年目の友恵もはじめての経験だ。
その時が訪れた。 
 オレンジ色の夕日がトミさんの周りにいる人たちの顔を照らしている。トミさんは、白いベッドの上に海の方を向いて寝ている。3階病棟のナースステーションの隣の個室からは、海に沈んでいく日が見える。皆、黙ってトミさんの頭の上にあるモニターを見ていた。心電の緑の波形が流れ、心拍数などを示す青い数字が刻々と変る。単調な機械音が部屋に響く。
 60歳を過ぎた子どもたち、その子どもたち、さらにその子どもたちが立ったまま、遠慮がちにベッドを囲んでいる。友恵はトミさんの足元に立ち、「どうぞ、近くに寄って下さい」と、壁際に立つ男たちに言った。白衣のさくらがパイプ椅子を出して、おかみさんに座るように促した。山田が椅子を運んでくる。トミさんの年老いた子どもたちは腰を掛け、おかみさんのまわりで、サユリとトミさんのひ孫たちはおとなしく遊んでいる。

 トミさんは肩で息をしている。
「手を握ってあげてください」
 友恵は布団の中からトミさんの手を出してやり、おかみさんの手と合わせた。
「最後のお別れをしてあげてください。トミさん、きっと聞こえてますよ」
 人間の五感では、聴覚が最後まで残りますからと、友恵は健からの受け売りを伝える。
 黄色く膨らんだトミさんの手と年老いた娘の手が白い布団の上に重なる。
「ばあちゃん、ばあちゃん、聞こえるね」
 おかみさんが、陽の光のあたるトミさんの顔に呼び掛けた。すると大将がサユリの頭をなでながら、ツッコミを入れる。
「ばあちゃんじゃなかやろ。あんたは娘やから、お母さんと、呼びかけんと。自分がばあちゃんのくせにねえ。おかしかよねー」
 小さな子どもたちが声を立てて笑った。トミさんの年老いた息子・娘たちからも笑いがこぼれた。
「よかさー。トミばあちゃんは、大きいばあちゃん。じいちゃんじゃなかろう」
 おかみさんが言い返すと、また笑いが起こった。友恵は枕元のモニターの画面のスイッチを消す。
「トミさんのお顔を見てあげてください」
 機械音も消え、家族の視線はモニターの数字から移り、トミさんの顔に注がれた。
「大きいばあちゃん、バイバイ、またね」。サユリが手を振る。
「またねって……」。さくらが声を詰まらせる。
「さくらちゃん、よーう、面倒見てくれて、ありがとうね。大きいばあちゃんも幸せたい」
「そうそう、大往生よ」
「若っか先生も、ようしてくれた」
「そうそう、ばあちゃんも幸せたい」
 友恵が会釈した。山田は目に涙を浮かべていた。

(イラスト:北神 諒)

 トミさんは顎でゆっくりと呼吸をするようになり、見守る人々は再び静かになった。健は隣のナースステーションでモニターを見ていた。無線で飛ばされているトミさんの数字は徐々に落ちていった。心臓の波形が波から平坦になり、機械音が断続音から連続音になる。ゼロ。
 健は時計に視線を移し、平坦となったモニターをしばらく眺めた後、病室に向かった。ドアをゆっくりと開け、友恵に視線を送って静かにうなずく。友恵はゆっくりとまわりをみた。家族の視線は彼女に集まっている。
「最後の診察をさせてください」
 友恵は胸ポケットからペンライトを出し、トミさんの目を左手で開けて、光を数回入れた。ペンライトをしまい、聴診器を耳につける。髪を後ろに編んだ白いうなじと産毛、聴診器に夕日が当たり、光っている。友恵は静寂の中、多くの視線を感じながら、トミさんの胸に聴診器を当てる。聴診器を外し、時計を見た。
「19時25分。ご愁傷さまです」
 友恵はトミさんに向かって手を合わせ、皆に深々とお辞儀する。家族もいっせいに頭を下げた。すすり泣く声を背に、友恵とさくらは病室を出た。
「上手やったよ」
 涙をためた友恵の目を見ずに、健が言う。
「さあ、これからが忙しかよ」