カンファランス室で、研修医の渡辺友恵が「山」の大将夫妻にトミさんの病状説明をしている。山田拓也が電子カルテ上でCT画像をだし、さくらがメモをとっている。その後ろに健が座っている。
 トミさんは、入院して10日になるが、肝不全が急速に進み、昏睡状態となった。血圧も低く、今日明日の命かもしれない。肝不全の原因は肝臓癌で、しかも回りに転移しているので回復の見込みはない。最期の時に延命処置である心臓マッサージや人工呼吸器を装着するかどうかの確認をしたい、ということだ。
 友恵の説明は丁寧過ぎて、専門用語が多い。研修医によくありがちなものだった。節々で健が短く翻訳して、大将夫妻に伝える。
「わかりました。東京の親戚にも言った方がよかよね」
 友恵の説明を聞き終えたおかみさんは、こっちを見て尋ねた。健もさくらも黙ってうなずく。

 夫妻が出て行くと、健は、友恵と山田の労をねぎらった。
「ありがとうね。友恵君の説明、上手だったよ。山田君の画像の出し方も良かった」
 友恵ははじけるような笑顔を見せた。
「ちょっと、詳しすぎたかもしれません」
「いや、よかったさ、上手、素晴らしかよ」
 健はニンマリとしてうなずいた。指導医講習会も捨てたもんじゃない。
「でも、健先生、最近ちょっとキモいですよ。にやけすぎでしょう」
 友恵がさくらに同意を求め、さくらが何度もうなずく。
「健先生が怒らなくなって、ちょっと物足りないよね。山田君もそう思うでしょ。無理して、郷田先生みたいにならなくていいですよ。らしくないですよ」
「あいつと俺とは、まったく違うさ」
 健はさくらをちらりと見たが、彼女は黙ってノートをまとめていた。

 その日の夕方、健は、さくらと一緒に病院を出た。
 サユリのお迎えに行き、3人で手をつないで、防波堤から、神ノ島の砂浜を歩いた。風はとまり、凪の海は穏やかにさざめいていた。サユリは手をはなし、砂浜で貝殻を集めはじめた。夕日が水平線のむこうに溶けてゆく。ふたりは、波際にたたずむ。
「サユリには、父親が必要だろう」
「?? いきなり、何よ」
 健はさくらを見たが、さくらの視線は夕日に向いていた。
「俺が、父親になるよ」
 さくらは、サユリに視線を送った後、健と目を合わせた。
「本気なの?」
「本気じゃないと、言えんやろう。こんなこと」
「無理よ」
 さくらはふたたび視線をそらし、沈む夕日を見つめる。
「あなたは、いつかここを去る人なのよ」
「違う。俺はこの病院に一生勤める」
「つぶれるわよ、うちの病院。知ってるでしょ」
 今月、ついに小児科医が部長の井上だけになった。さくらの病棟の看護師も3人辞めた。
「つぶれない。俺が研修医を集めて、復活させる」
「ホントにできると思ってるの?」
「もしもフルマッチしたら、本気で考えろよ。いいな」
 波の音がふたりを包む。健はさくらの顔をのぞき込むように、くちびるを近づける。
 ――!
 息が……、できない。さくらの鉄拳がみぞおちにのめり込んでいる。ゆっくりと前のめりになり、砂の上に崩れ落ちる健。砂まみれの顔を波が洗う。

 ぎんぎんぎらぎら 夕日が沈む♪
 手をつないで歌うふたりの背中が遠ざかってゆく。サユリはときどき、心配して振り返ってくれているようだ。
 サユリが、さくらが、オレンジ色に染まってゆく。

※ 「フルマッチ」は毎週月曜に掲載します。