【第2章までのあらすじ】日本の最西端・西果(さいか)市の西果中央病院は医師不足で崩壊寸前。状況改善のために初期研修医の確保を命じられた内科医矢倉健(ヘタレ)は、美人で勝ち気な看護師・紺野さくら、地域研修で赴任した初期研修医・渡部友恵、オタク医学生・山田拓也のアシストを得て、西果中央病院の大PR作戦を始めることになる。
※第3章第2話まではバックナンバーからご覧ください。

 指定されたレストランにはカナダの国旗が掲げられていた。壁は丸太を積み上げたロッジ風。カナディアンロッキーの写真やアイスホッケーチームのペナントが飾ってあった。カウンターの白人のカップルは地図を片手にビールを飲んでいる。
 健に会いたいと言ってきた郷田は少し遅れてやってきて、流暢な英語で若い日本人のウエイトレスに注文し、彼女も英語で答えていた。英語が全く話せない健には何かわざとらしい光景だった。
 2日間の講習会で缶詰にされてやっと解放された健は、とにかく乾杯して話はその後にしたかったのだが、郷田はせっかちで、いきなり本題に入る。
「実は僕、紺野さくらと付き合っていたんです」
 健は唾を飲み込んだ。早くビールが欲しい。
 健は郷田の話を聞きながら、さくらが前に居酒屋「山」で語った「父親が倒れた前と後の話」を思い出していた。前は恋愛、後は介護の……。

<父が倒れた時、私には彼がいた>
 そのときは名前を明かさなかったが、彼とは郷田のことだったのだのか。
「さくらと結婚しようと思っていた。5年前のことですが」
<彼は結婚しようとは思ってなかったと思う。5年前だからよく覚えてないけど>
 郷田の言葉とさくらの言葉が健の頭の中で交錯する。
「そのころ、僕はカナダへの留学のチャンスをつかんで、彼女と一緒に行こうとしていた。留学が決まった後、彼女のお父さんが病気になり、彼女は行けないと言ったんです」
<父が脳卒中で倒れて、寝たきりになったの。その後に、彼の留学が決まったわけ>
 ふたりの話は微妙にずれている。よくあることだ。人は都合のいいようにものごとを記憶する。男と女のことなら、なおさらだ。
「彼女は病気の父を残して行けないと言ったんです。でも、脳梗塞の慢性期になると安定しているから、大丈夫。結婚して行こう。僕は心から言いました」
<一緒に行こうと一応は言っていたけど、私が断ることは分かっていたと思う>
 ずれは徐々に大きくなっていく。
 なんで郷田が俺にこんな話をするんだ? この話の先に何があるんだ?
「実は僕は、小学校まで西果(さいか)に住んでいました。いい街だし、愛着もあります。でも、今後発展する可能性はゼロに近い。だから、そこに留まって親の面倒を見て一生終わることがポジティブな生き方とは思えない。むしろネガティブと思います」
<私も彼も西果の出身。でも、西果に対する感覚が違う。何もない街、退屈な街。彼はそれが嫌だったけど、私は、それはそれでいいんじゃないかと思ってた>
「僕はポジティブな人間だから、いろいろ挑戦したい。パートナーと一緒に」
<私はポジティブとかネガティブとか、白黒が分かれた世界には住んでないと思う>
「彼女が妊娠していることは知らなかった。知っていれば、もっと事情が変わったでしょう」
<彼には知らせなかったわ。知らせて彼の考えが変ったら、彼もサユリも不幸になるから>

(イラスト:北神 諒)

 ふたりは結局、お互いの妥協点を見出して落ち着くところに落ち着かせようという作業をしなかった。
「愛がなかったわけですよね、単純に言えば」
 そんな経験もない健が行う解説に、郷田もうなずく。
「そうだったと思います」
<結局は、愛情が足りなかったのよ。きっと>
 さくらもそう言って、遠くを見つめていた。
 だから、何だ? 健は腹が立ってきた。
 郷田は、話し終えるとスマホを取り出す。白人の金髪女性がニコリと笑っている。
「妻です。カナダ人で、ジェシカといいます。カナダで知り合い、最近結婚しました」
 ヌケヌケと言いやがる。俺は何をしに来たんだ?
「はあ、そうですかー」
 もうそろそろ帰ろう。話の途中に出てきたカナディアンビールは日本のビールと違い、麦の素朴な香りがして、口触りも柔らかだ。もう一杯頼みたかったが、郷田の話をこれ以上聞くのはばかばかしい。
 底に残ったビールを飲み干して健が立ち上がろうとする瞬間、郷田は2杯目を注文した。今度はすぐに、テーブルに並ぶ。
「さくらさんは、どうなんでしょうか? 子どもは、どうなんでしょうか?」
「どうというと?」
「幸せかどうか、ハッピーかどうか」
「それはわかりませんが、楽しそうにやってますよ」