【第2章までのあらすじ】日本の最西端・西果(さいか)市の西果中央病院は医師不足で崩壊寸前。状況改善のために初期研修医の確保を命じられた内科医矢倉健(ヘタレ)は、美人で勝ち気な看護師・紺野さくら、地域研修で赴任した初期研修医・渡部友恵、オタク医学生・山田拓也のアシストを得て、西果中央病院の大PR作戦を始めることになる。
※第3章第1話まではバックナンバーからご覧ください。

 健は、博多国際会議場の小ホール脇の廊下に立っている。2日間に及ぶ指導医講習会、初日の休憩中。缶コーヒーを持って、遠く見える博多湾からさらに続く玄界灘を眺めていた。
「矢倉先生、お疲れ様です」
 ふり返ると、玄海総合病院救急部の郷田常道だ。「お久しぶりです」と、コーヒーを持った手を上げた。郷田は今日の最後のセッションで講師として呼ばれたようだ。
「さすが、カリスマ指導医ですね」
「いえいえ。ところで、うちの渡辺友恵が本当にお世話になってます。1カ月の地域研修で、いたく感動したみたいですよ。ときどきメールしてきます」
「えー、そうですか。田舎で何にもないのに」
「まあ、それが良かったみたいですね。集中して勉強できたって」
 郷田によれば、友恵は西果(さいか)中央病院での地域研修の延期を求めているという。何でも、やり遂げたいことができたと言ったそうだ。
「やり遂げたいこと?」
 仕事に関しては、健には思いつかなかった。入院中のトミさんのことか? 最期を見届けたいのだろうか。
「詳細はわかりませんが、彼女は生真面目だから、とことんやる性分があるみたいですね」
「西果はウェルカムですよ。多分、小佐々院長も相当喜びますよ」
 それにしても、何だ? 彼女の解決しなければならない問題とは。

  ※  ※  ※

 郷田のセッションは面白かった。
『褒めて伸ばす』
 健にとって新鮮なテーマだった。
「皆さんは、医者に成り立ての頃、どういうふうに育てられましたか?」
 郷田のスライドに選択肢が映し出された。
A:怒られて育てられた
B:褒められて育てられた
 参加者は手元の端末の小さなボタンを押す。ピピピっと、すぐに集計がでた。
「32人がA。8割が怒られて育てられたんですね。どうりで皆さん、顔が怖い」
 笑いが巻き起こって、場が和む。郷田はマイクを片手に続ける。
「やっぱり、私たちの業界は厳しく育てる伝統があるんでしょうね。しかしですね」
 うまい。郷田はいつもこんな講演をしているのであろう。滑らかな口調、身振り手振りで聞き手を引き込んでゆく。
「最近は、褒めて育てる、褒めて教える方が生産的であるというエビデンスが出ております」
 郷田は外国や国内の心理学、教育学分野の実験データを次々に示してゆく。頭の硬い、いや頭のいい医者連中を納得させるためにはまずデータで攻めるということだろう。

 データの後には、こんなお題が出てくる。
『あなたのパートナー(奥さん、彼女、彼、御主人)は、何を思ったのかシュークリームを作りました。それが超マズイ。最悪の味です。しかし、パートナーは店を出したいと言っています。さあ、あなたは何と言う? 何をアドバイスする?』
 二人組になった医者たちは、一方がシュークリームを作った人、一方がアドバイスする人に分かれてロールプレイだ。
「さあ、成りきって、演じましょう! 恥ずかしがらず」
 郷田の指示で、小さな会場の空気が動く。張りのある声々が交差する。
健は相手にアドバイスする役。彼女も妻もいない健は、女性を褒めたことなど当然ない。
「うーん、マズイね。ひどすぎる。センスなし。最低。この味で店は無理でしょう」
 相方は50代女性で、どこかの病院の診療部長。健の無神経ぶりに、あんぐりと口を開けていた。もっとも、他の参加者も似たり寄ったりのようで、会場は戸惑いと苦笑いに包まれていた。