「東京で何やっていたんですか?」
「彼はね、コンサートじゃなくて……、コンサルト。経営コンサルタント」
 緒方も酔ってきたか。
「アメリカにいた頃、医療経済とか医療システムとかを勉強してね」
 座敷にころがっていたラグビーボールを健に投げる。
 小佐々が日本へ帰って来た頃から、日本の医療制度はますます混迷していった。だから、医療経営コンサルティングという分野の仕事が注目され始め、小佐々の会社も繁盛していたらしい。
「ざっくり言うと、お金はないけど病気の年寄りは増える。誰がどれくらい年寄りの病気の治療費を払うの?という問題だよ」
 その問題を解決するために、後期高齢者医療制度が新設され、特定検診・特定保健指導が義務化され、急性期医療包括化(DPC/PDPS)は拡大し、医療の統制化が進んで医療において、国の力はますます強くなる。患者が簡単に病院にかからないようにして(高齢者患者負担の引き上げ、高額医療利用者の限度額引き下げ)、病院の身入りは減らし(診療報酬の引き下げ)、医療費を大幅に削減する策は続いている。さらに、療養型病床の削減や介護療養病床の廃止を宣言(二転、三転してるが)する一方で、介護難民や医療難民が出現している。在宅医療の推進を始めると、意外とお金がかかることもわかり、なかなか進まない。数年後には、病床数を大幅に減らすはずだと、2012年の今、小佐々は予想する。

(イラスト:北神 諒)

 緒方もキスのてんぷらをつまみ、荒塩に少しつけ、箸を止めたままにして語る。
「まあ、コロコロ制度が変わるのもしょうがない。そういう国だ。しかし、現場は現場で対応してゆくのが日本の底力だから。そうやって、この病院もなんとか生き残ってきた。しかし、………」
 2004年のマッチングと、その後の7対1看護が大きかった。若い医者や看護師の約6割が大都会、つまり、東京、神奈川、名古屋、大阪、京都、福岡に流れた。
「これで、地方の現場は止めを刺された」
 緒方は、てんぷらをつまんだ箸を健の胸元に突き出した。
「グサッ、とな」
 健が大きく口を開けてそのてんぷらを食べると、緒方は声を上げて笑う。
「人が、すべてなんだ」
 そして続ける。
「溺れそうな病院を、なんとか小佐々君が救ってくれようとしているのに、あの市長が水を差してくれて……。すまん。俺が無理やり引っ張ってきたのに」
 緒方は半年かけて小佐々を説得したそうだ。
「君のコンサルタントとしての知識が本当に現場で役に立つのか試したいだろう。成功すればもっと大きなビジネスができるじゃないか」
 市長や医科大への根回しも抜かりなく行い、ついに小佐々は、昨年の9月に病院長に就任した。

「小佐々先生の手腕は凄いですよ」
 黒縁眼鏡の片山事務部長の眼鏡は下がり、ネクタイが緩んできた。
「就任1週目で全職員300人以上と個別に話し、2週目で、病院の方針はこうだから、辞めたい人は早く辞めてくれと早期退職者を募ったんです。まあ、市の職員から独立行政法人の職員になる訳ですからそれを嫌う人は早く市に帰れということですよ。そして、慣例で雇っていた病院付けの職員からも早期退職を募ったんです」
 不明瞭な雇用契約で地元の人間を抱え込むのは、田舎の公的病院でよくあったことだ。産業のない街では、病院はひとつの大きな産業であり公共事業でもあるので、仕方のない面もあっただろう。しかし、独立行政法人は基本的に独立採算制なので、人件費はできるだけ抑えなければならない。50人ほどが希望退職に手を上げた。
「やる気のある人だけ残ったから雰囲気は良くなりました。小佐々先生は他にもいろいろ尽力され、今期は黒字に転換する可能性も出てきました」
 そう言う片山も、元々は地元採用の人間だ。市町村合併により西果中央病院が誕生した時に、市でなく病院採用職員として採用された。前職の玄海総合病院医事課課長補佐という経歴を生かし、西果中央病院の経営の肝の部分を握るようになり、小佐々が医事課長から事務部長に抜擢した。

「まあ、もうそれくらいにして」
 小佐々は制するように、焼酎「神ノ島」をボトルから注ぎ、氷で割ってくれる。
「とりあえず、市長が言ってきたシンポジウムには協力しないといけないだろうね。『市民と病院のあり方を話し合う夕べ』なんて、馬鹿げた話だが」
「あいつの腹は読めている。シンポジウムでの議論を病院身売りの方向に誘導し、市議会で『市民の意見を尊重して身売りします』と表明する筋書きだろう」
「こっちも作戦を考えないといけませんね」
「シンポジウムは司会次第だからな。数人を壇上に上げて討論させるはずだ。どういう人選をするかが問題だろう」
「結局、あいつ、市長は市と病院経営を完全に切り離したいんだろう。病院経営が失敗すれば大きな票を逃がすし、成功してもたいして票にはならない」
 4人は遅くまで飲んだが、市長に対抗する作戦が思いつかず、議論は空回りするばかりだった。