【第1章のあらすじ】どの病院でも長続きしないフリーター医師、矢倉健はひょんなことから日本の最西端・西果(さいか)市の西果中央病院で働くことになる。しかし、地方のご多分にもれず、医師不足で病院は崩壊寸前だ。状況を何とか改善しようとする院長・小佐々英雄の命令で、健は初期臨床研修マッチングの医学生就職フェアに嫌々参加。美人で勝ち気な看護師・紺野さくらのアシストで、初期研修医・渡部友恵の赴任(1カ月の地域研修)、オタク医学生・山田拓也の志望表明という収穫を得る。
※第2章第6話まではバックナンバーからお読みください。

「えー! 誰か、買いますか? こんな病院」
 西果(さいか)市長の出口正信との密談の後。院長の小佐々、副院長の緒方と片山事務部長は、健を交えて「山」で飲み直している。「市長が密かに西果中央病院の身売りを企んでいる」という緒方の言葉に、健は反射的に言ってしまった。
 人口3万人程度で、今は県都のベッドタウン。半農半漁の街で毎年数億円の赤字を垂れ流している病院を誰が買う? 小佐々は苦笑いしながら答える。
「それが、いるみたいな感じがしたな。はっきり誰とは言わなかったが」

 出口市長は2年前、市立西果中央病院の改革を公約にして当選した。
 西果中央病院は、平成の大合併で西果市が誕生した時に創設された。創設といっても、赤字の町立西果病院に隣町の赤字の町立病院をくっつけ、大赤字の市立病院にまとめただけだった。国が示した公立病院の統合ガイドラインに従ってもらえた幾ばくかの補助金で建物を少し改装したが、赤字は減らなかった。
 新生・西果市の財政を一番に圧迫するのはこのお荷物病院だから、当然、選挙の争点ともなった。当選した市長の公約は、西果中央病院を独立行政法人にして、強力な病院長の下にスピード感あふれる改革を行うこと。その通りに昨年4月、独立行政法人西果中央病院となった。
 しかし、病院長人事が難航した。
 合併時の病院長は元外科教授で、75才の好々爺。この病院長は勇退することが決まった。そうなると、外科部長の緒方が候補として有力だったが、内部からの昇進人事は市長が嫌った。幼馴染を病院長すると批判を受けることは目に見えたし、病院の改革ができない。
 そこで市長は、西海医科大学にお願いに行き、退官間際の教授、教授候補から外れた准教授に次々と打診するも、全員が首を横に振る。博多の帝大や久留米の大学にお願いに行くに至っては、けんもほろろに門前払いされる始末だった。全国公募に踏み切ると、マスコミ的には少しだけ話題となったが、応募は見事にひとりもなかった。結局、緒方を再度推す声を緒方は再度断り、緒方自身が院長探しに奔走するはめになった。

「そこで最後の切り札を出した」と緒方は言う。
 白い巨塔の親玉、西海医科大学病院の元院長・近藤和仁。今は厚生労働省に太いパイプを持ち、中央で医療界のご意見番として活躍している。緒方にとっては、大学病院で働いていた頃の上司。その近藤へ緒方は連絡を取った。
 近藤が推したのが小佐々だった。
「割りばし袋に『小佐々君を推す』と書いて送ってきたんだ」
 そう言って、緒方はてんぷらをつまむ。
 緒方が探すと、果たして小佐々は医局の人事から外れて東京に移っていた。
「東京で何してたんですか」
「まあ、いろいろ」
 健が知るところでは、西海医大で研修医クラブを立ち上げた伝説の研修医・小佐々は、その後、第一内科に所属。医局人事では離島やへき地を希望し、いわゆる野戦病院を転々とした。5年目に副医局長に大抜擢されて大学へ戻り、医学生の勧誘に手腕を発揮。健や山口大輔たちの世代を沢山入局させた。
「お前が学生の頃、実は俺、遺伝子の研究をしていたんだ」
 小佐々の焼酎のペースが上がっている。健も酒の勢いで言いたいことを言う。
「遺伝子研究? 毎日飲んだくれて、学生をだますのが小佐々先生の仕事だと思ってました」
「野戦病院が5年も続くと、何か嫌気がさして、仕事が面白くなくなった。そんな時に大学に戻る話があって、学生の勧誘さえやれば、あとは好きなことをやっていいと言われて、がん遺伝子の実験をやったのさ。これが新鮮で、実に面白かった」
 もしかすると、この遺伝子の謎を解くことでがんの大きな原因を明らかにし、がんを制圧する薬を開発できるかもしれない。いいデータが出るとワクワクして、自分は天才なんじゃないかと錯覚する。英語の論文も書いて大学院で学位も取った。1年だったけどアメリカの研究室にも留学した。順調な研究者生活に思えたが、研究の世界は激しい競争の世界。アメリカで分かったのは、日米で個人の能力の差はなく、むしろ日本人の方がまじめで器用ということ。そして、システムと資金力に圧倒的な差が立ちはだかるということだった。
「神ノ島の釣り船が巨大戦艦と戦っているようなもんだ」
 あっさりと研究の道をあきらめ、医局からも離れて東京に移った。