山田は西果中央病院にただ見学に来たわけではなく、クリニカルクラークシップという制度を利用していた。
 医学部6年生の春から夏にかけて1カ月程度、大学病院以外の病院で実習ができるこの制度は、一般学生のインターンシップに相当する。現場の医療を体験するという目的があり、健は忘れていたが、山田の実習について関東医科大学から依頼状も届いていた。4月第4週から5月末まで、山田は西果で実習するらしい。
 健は早速、実習の手始めとして、トミさんの病歴や職業歴や家族歴などを詳細に聞くよう、山田に指示する。トミさんが直接答えることができない時は、家族に聞く方がいいとアドバイスをしておいた。
 患者のヒストリーは、普通は10分から20分程度、長くても1時間くらいで聞き取れるだろう。しかし、数時間たっても戻ってこない。健のPHSに山田が連絡して来たのは、夕方6時過ぎ。健は医局の横の小会議室で、研修医募集のための病院ホームページを新しく作る打ち合わせをしていた。
「おおー、ずいぶんかかったなあ。今まで何ばしよったとー。とりあえず、小会議室まで来て」
会議室に入って来た山田は頭をかいて、「すいません、すいません」とまず2回謝る。
「どうしたの?」
「トミさんの娘さんから、トミさんの病状を聞いていたんですが」
「おかみさんね」
「そうです。そのおかみさんが、トミさんと一緒に暮らしているお兄さんに聞いた方がいいと言って、神ノ島のご自宅まで連れて行ってくれたんです。お兄さんが、もう70歳近い人でしたが、神ノ島の案内をしてくれて。トミさんのご主人が働いていた炭鉱の跡とか、トミさんの畑とか、桟橋とか……。でも方言だから、何言ってるか全然わかんなくて」
 ワハハ―。マッシュルーム頭を何度もかきあげて話す姿に、打ち合わせしていた小佐々や事務部長の片山、総務課の若手が笑いをこらえきれずに噴き出した。

「失礼、失礼。病院長の小佐々です。こんな田舎に来てくれてありがとうね。まあ、方言もすぐ分かるようになりますよ。健先生、それにしても初日から濃厚な研修をやらせているね」
 小佐々は頬が緩んだまま、健の方を向いて右手の親指を上げた。
 さっきまでウェブデザイン業者のプレゼンを不機嫌そうに見ていた小佐々たちだったたが、山田の登場で場が一気に明るくなった。
「そうだ、院長。研修医の先生や学生さんの意見を取り入れた方がいいんじゃないですか」
 片山の声も弾んでいる。
「そうだなあ。それじゃ、渡辺君も呼んで、健先生と学生の……」
「山田です」
「失礼、山田君との3人に任せよう。総務課の若手も手伝わせるから。かっこいいホームページ作ってよ」
 小佐々と片山が時計を見ながら、会議室から出て行こうとした。その時、山田が突然立ち上がった。
「本当に、任せてもらえるんですか! ホームページ作り」
 今度は山田の積極的な態度に、健は驚いた。こいつは何者だ? はるか遠くの見知らぬ病院へ飛び込んで、患者の家まで行くと思ったら、今度はホームページか。何でも唐突に始める山田を健は理解不能と捉えたが、小佐々は度量の大きさを見せる。
「もちろんさ、山田君の好きにやりたまえ」
 小佐々は吸い取るように山田の手を握り、「期待しているよ」と微笑んだ。

 その後は、山田のひとり舞台となった。
 ウェブ業者と技術的な問題になると、他の者はついていけない。技術的な話を一通り終えると、全体のコンセプトを語りだす。
「西果、サイカという言葉の響きを大事にして、夕日のオレンジをベースに作りましょう」
 サイカという西の果ての街は、パラダイス。つまり極楽であり、その中心に病院が位置するというイメージをつくる。ページをクリックするたびにサイカの素晴らしい風景などの写真を目に飛び込ませようというのだ。
 山田はリュックからi-Padを取りだした。
「例えば……」
 波打つ海岸、ミカン畑、港、砂浜、そして夕日。いつの間に、こんなに撮ったのか。
「お―」
 どよめきが起こった。うまい。いつも首から下げているカメラは伊達じゃないようだ。
 見慣れた風景がどこか別の国の風景に見える。青、緑、オレンジと色のコントラストが鮮やかで、南国のパラダイスのようだ。そして、人物がいい。笑顔のしわが流れるように彫られているような写真は、その人が歩んできた人生まで想像させる。
「ああ、この人は、トミさんか」。病室で笑っている。