健が運転する白の公用車は長崎市の郊外を抜けて、リアス式海岸に沿う曲がりくねった道を走る。それにしても、ラブホテルの数はかなり減ったものだ。昔は長崎市から西果へ行くこの一本道を走ると、ラブホテルが海岸沿いと山沿いにちょうどいい間隔で十数軒は並んでいた。健が学生の頃はラブホ街道と呼んでいたほどだ。
 助手席に女を乗せた男たちはスピードを落とし、そのどれかに入るタイミングをうかがいながら運転する。夕日の見える時間帯に合わせて車を走らせると確率が上がるとも聞いたことがある。それがここ数年、数はめっきり減り、いよいよ残り2つ。タイミングも何もあったものじゃない、というところまで来ている。

「なぜなんだ。プラトニックか?」
 最近の若者は車に乗らない。研修医の渡辺友恵も車を持っていないし、彼女の友達も持っている人は少ないそうだ。健や大輔が研修医の頃、給料は10万円程度でアルバイトをしなければならず、車は必須だった。夕方、大学病院から当直先の郊外の病院まで車を飛ばす。ひと晩あるいはふた晩の当直をこなし、閉じそうになる目をこすりながら、早朝車を飛ばして大学の地獄のような仕事場へ帰る。その帰り道、ラブホをチェックして妄想に耽るのが、健にとってはつかの間の安らぎだった。
 今の初期研修医はアルバイトが禁止となった。月約30万円(税込み)を保証するから(半分程度を国が出している)、「アルバイトはせず、研修業務に専念せよ」ということだ。それはそれでいい。しかしその分、研修医が車を買わなくなった。
「だから、ラブホの数も減ったんじゃないか」
 ラブホの減少は人口減少につながっているのではなかろうか。ラブホという郊外の貴重な産業がなくなり、働き口もなくなって、人口減少にもつながっている。
「そんなバカみたいなことばかり考えても、研修医は来ないわよ」
 さくらは呆れるが、健は本気で考えていた。

 ラブホの再建を推進し、無料利用券をばらまくという政策を西果市が掲げる。西果にカップルがやってくる。雇用が生まれ、赤ちゃんも生まれ、人口も増える。さらに、医学生の病院見学会に合コンをつけて、ラブホの無料利用券も配る。合体させて結婚まで導き、西果中央病院に就職させる。一石二鳥、いや三鳥、四鳥だ。
「どうだ。これで医師不足も解消だ」
 健は自信満々で持論を展開したが、さくらは相手にしていない。しかし、健の言っていることはまったく間違いというわけではない。田舎に定着した医者について、その理由を学術的にきちんと調べると、「自分の出身地である」「配偶者の出身地である」という項目が上位にあがる。医師不足に困っている外国でも同じ傾向があるらしい。合コンして合体させるという作戦はあながち見当外れとも言い切れないのだ。
 とはいえ、
「あなた、結婚してないのに、結婚を語る資格があるの」
 雨で冷えたのだろうか。くしゃみをしながら、さくらが後ろからバッサリと切り捨てる。最近は、職場の外ではセンパイとも言わなくなり、健を見下すような話し方をするようになってきた。

(イラスト:北神 諒)

 雨は激しく、フロントガラスは曇って、ワイパーがキュウキュウとなる。
「さくらも結婚してないじゃないか、子供はいるけど」
「悪かったわね、コブ付きで」
 さくらの娘のサユリがいるときは彼女を通して会話が進むが、ふたりでこうしていると、反発しあう磁石のようになる。方向を少し変えればすぐにくっつく可能性もあるような気はするのだが…、微妙な角度を探しあぐねている気もする。
 さくらがまたくしゃみをした。バックミラー越しに震えているように見える。
「大丈夫? 風邪ひきそうだな。それこそ、ホテルにでも入って温まって行く?」
 急カーブで車のスピードを落とす。
「いいわよ」
 低く冷たい声で、思わぬ言葉が返ってきた。

 雨の音とワイパーの音が時を刻んでいる。
「無料券は持ってないけど。ラブホに私と入ったら、あなたは西果に定着するドクターになるわけ?」
 白波が立つ海を見ながら、さくらは静かに聞いてきた。
 髪をタオルで拭くさくらが、バックミラー越しに見える。長い髪と細い首、大きく割れた胸元、透けたブラウス。魅力的な女性だ。勝気であるが基本的に優しく純粋だ。サユリもいい子に育っている。しかし、寝たきりの父、介護疲れでうつ病を発症した母まで背負えるか……。
 健は自分の気持ちを見透かされているようで、何も言えなかった。
 黙っている健に、ダメな先輩を諭す後輩といういつもの役回りに戻ったさくらが優しく告げる。
「センパイ、このまま博多のキャバクラにでもどうぞ。私はバスで帰れますから」