この経過をふり返って、落ち度は誰にもないと健は思った。運が悪いとしかいいようがない。陸で倒れたのでなく船で倒れたため、発見が遅れた。それでも放置されず、なんとか運び込んだ近くの病院に脳卒中の専門医がいなかった。締め日の月曜日。雨と風。事故、そして渋滞。
「神ノ島という島に住んでいたこと自体、運が悪かった」
 さくらの言葉に、健は自分の父のことを思い出した。東京に住む健の父も脳梗塞となったが、後遺症もなく暮らしている。発症時の状況はおそらく似たようなものだっただろう。単純な比較は危険だが、違いは住んでいる場所だけだったのかもしれない。
「まだ、いろいろあったのよ」
 さくらは父親が倒れる前後の話もした。前の話は恋愛、後の話は介護のことを、なぜか、健と友恵とおかみさんに淡々と。話が終わると、もう昼ごはんの時間になっていた。

  ※  ※  ※

 西海医科大学の正門前。健とさくらは、事務部長の片山がコンビニで買ってきたビニールカッパを着て立っている。。
予想外の雨だ。ゴールデンウイーク前の月曜の朝、正門前は車と人とバイクで混雑している。
「西果中央病院です。マッチングの説明会やります」
「ゴールデンウイークに西果でカヤック体験あります」
「病院説明会をします。どうぞ、西果まで来て下さい」
「看護師さんたちとの交流もあります」
 さくらと片山は、大声で叫んでビラを配る。学生たちは、ほとんど傘ももたず走って門をくぐり校舎へ駆け込んでいく。
「お願いします」
 声を張り上げてもほとんどが受け取ってもくれず、片山は眼鏡の水滴を拭うこともなく、いつものごとく米つきバッタのように頭を下げて無理やりビラを握らせる。

(イラスト:北神 諒)

 健は、木の立て看板を掲げていた。
『サイカ中央病院GW病院見学会&カヤック体験バスツアー(無料)』
 学生たちは一様に、なにごとかと健の看板をちらりと見て門の中へ走ってゆく。中には立ち止り、看板を読む医学生もいる。研修医の友恵は、「アナログな宣伝も以外と効果あります」と言っていた。その言葉どおり、徐々にビラがはけて行く。マッチングのための広報は、今はほとんどがネットだ。ビラ配りは逆に斬新に見えるのかもしれない。
 健は黙って立ち、時々看板を前後左右に振ったり、回転させている。博多の中州の客引きたちを思い出し、健なりに工夫しているのだ。そんな健を見て、さくらが笑う。
「なんか楽しんでいるわね、健先生」
「いやー、医者になってこんな仕事やらせてもらうとはね。意外と楽しかよ」
 雨に濡れるさくらの童顔はみずみずしく映るが、痛々しくもある。その痛々しさがいいのだろうか。さくらが差し出すビラは、ほとんど受け取ってくれる。 

 健の携帯が鳴った。院長の小佐々からだ。
「健先生、楽しんでる? そっちの調子はどう」
「ボツボツですかね。雨は予想外ですけど。少しは反応あります。そっちは?」
「こっちはね、やっぱり完全アウェーという感じ。ほとんど無視されている」
 小佐々グループは博多の帝大で、副院長の緒方のグループは久留米の私大で、同様にビラ配りをしている。
 こちらではまたひとり、学生が足を止めた。体格のいい黒いTシャツの男子学生が、さくらからビラを受け取って、そのまま何か話している。健も負けじと看板を振り、アピールを続ける。その時、後ろから肩を叩かれた。
「何やってるの!」
 健の同期、大学の第一内科の山口大輔だった。
「これはまずいぞ、健」

※「フルマッチ」は毎週月曜に掲載します。