ほとんどの研修医は患者を受ける側の大きな病院に勤める。友恵の研修先である玄海総合病院も指折りの大病院だ。潤沢なスタッフ、フル装備の医療機材、統制されたシステム。そこで働く者たちは、ついつい自分の力を過信し、上から目線で偉そうな態度をとる。小さな病院から患者が送られてくると、
「なんで、こんな状態になるまで。もっと早くに送ってくれヨ!」
「あそこの病院、何考えてんの?」
「なんでこんな患者を送るんだヨ!」
 受ける側に勤めていると、なぜか勘違いする。地域の現場を知らない研修医や若い医師ほど、当然その傾向は強い。
「確かに、私もそう言ってたかもしれません」
 友恵は頭をかいた。
「まあ、そう思うのも仕方ない部分はあるよ。なんでもかんでも送られると、今度はこっちがパンクする。大学や玄海のような大きい病院がパンクしたら地域の医療は終わりだからね。でも、開業医も小さな病院もベストを尽くして、その結果、ダメだから送るしかない。それがほとんどなんだ」
「はい」
「僕はアメリカに留学したことがあるけど、日本人はすごいとホントに思うよ。送る側も受ける側もベストを尽くしている。それに、誰もが平等に医療を受けられる国民皆保険。これはノーベル賞を取ってもいいくらいだ」

※   ※   ※

 救急車は既に西果に帰ってしまっていた。
 友恵は、ブルーの長崎バスに乗った(後で聞いたらタクシーも使えたらしいが)。長崎市街を抜け、西果まで曲がりくねった岬の道をバスで揺られるのは心地よかった。東シナ海に広がる海はどこまでも青く、どこまでも広い。右手の山の緑もどこまでも深い。
 長崎と西果を結ぶ道は今も昔もこの国道しかない。母はこの道をこのバスで通い、長崎の看護学校を卒業している。彼女から西果の話を聞くことはほとんどなかったが、先週久しぶりに電話して西果で研修すると言うと、喜んでいた。
「それはよかった。わっか(若い)時は、きばらんばたい」
 母は四半世紀を東京で過ごしているが、いまだに長崎の方言を話す。母一人子一人の家庭で友恵は育った。明るく元気でさっぱりとした気性の母はいつも忙しそうに働いていた。子供のころからゆっくりと話をしたという記憶はなく、母がどういうふうに故郷で育ったのかも知らないが、この海の写真をメールしてやろう。
バスを降りようとして財布を持っていないことに気づいた。事情を説明すると、
「よか、よか。わっか先生、きばらんばよ」
 運転手は母と同じようなことを言って、笑顔で降ろしてくれた。

 病院へ戻った友恵は、さくらや若いスタッフへ自分がいかに頑張ったかを身振り手振り話していた。そこへ健がやって来た。「お帰り」と健が言う前に、友恵が話し出す。
「健先生って、調子いいけど 、結構、人使い荒いですよねー。それに、すぐ怒鳴るし。全然、大学の山口先生や長谷先生と違う。山口先生はとっても優しくてジュースおごってくれたし、長谷先生は家族に『渡辺先生のおかげで助かった』と言ってくれて。あたし、長谷先生みたいな、かっこいい医者になりたい。それに比べると、どうなんですかね。健先生は」
 同意を求めるようにさくらを見ると、スタッフが声をあげて笑った。
「今に始まったことじゃないけどねー。むかーしから、人使いの荒さと調子の良さじゃ有名だったのよ」
 さくらがかぶせると、スタッフの誰かが言った。
「紺野主任は、健先生と大学時代から知り合いだそうですね」
「そうよ」
「えっ、まさか元カレとか?」
「友恵ちゃん、こんな男と付き合う?元彼というより、元ライバルね」
「はあ? ライバル? 俺を誰と思ってんの? 勝負するか〜」
 健がおどけてマイクを持つポーズをみせると、周りのスタッフが「する、する」と手をたたき喜んだ。最近のお約束の会話である。若いスタッフにとって娯楽のないこの街の唯一の楽しみは飲んでカラオケを歌うことくらいだ。そして、この辺りでカラオケといえば、神ノ島の居酒屋「山」と決まっている。
  
 友恵はカラオケに行く仲間を待っていた。病院の1階の受付の奥、昭和を思い出させる雰囲気の売店前で。
「スミちゃん、爆弾おにぎりとアラカブスープを手術室の詰所に3人分」
 ベテランの男性看護師が、売店のオバサンに注文する。小太りで人の良さそうな50過ぎのおばちゃんは、スミちゃんと呼ばれているらしい。
「準夜?気張らんばー」
 母と同じイントネーションだ。健とさくらたちが来て、スミちゃんに挨拶する。
「あなた、友恵ちゃん?」
「はい」
「スミちゃん、この子知っているの?」
「洋子ちゃんとそっくりたい。この子の母親とあたしゃ、同級生さ」
「神ノ島小学校の?」
「そう。さくらちゃんのお母さんとも同級生」
 売店のスミちゃん、さくらの母、友恵の母の3人は同級生のようだ。
「それにしても、お母さんの若い頃にそっくり」
 スミちゃんと友恵の母は連絡を取り合っているようだ。友恵は母がこの街の出身だという証拠をつかんだようで、うれしくなった。
 スミちゃんに挨拶をして、裏口を出て駐車場を渡り、病院に隣接する保育園の敷地に入る。古い大きな古民家を改築したようなつくり。縁側から「サユリちゃーん」と呼ぶと、半ズボンとスモックを頭からかぶり、黄色いつばのある帽子をかぶった女の子が玄関から飛び出して来た。サユリは慣れたスタッフにまとわりついて甘えたが、すぐに友恵とも打ち解けて、小さな手をからませる。