【第1章のあらすじ】どの病院でも長続きしないフリーター医師、矢倉健はひょんなことから日本の最西端・西果(さいか)市の西果中央病院で働くことになる。しかし、地方のご多分にもれず、医師不足で病院は崩壊寸前だ。状況を何とか改善しようとする院長・小佐々英雄の命令で、健は初期臨床研修マッチングの医学生就職フェアに嫌々参加。美人で勝ち気な看護師・紺野さくらのアシストで、初期研修医・渡部友恵の赴任(1カ月の地域研修)、オタク医学生・山田拓也の志望表明という収穫を得る。
※第2章第1話まではバックナンバーからお読みください。

 心筋梗塞疑い男性の西海医大病院搬送への同乗を健に命じられ、涙をこぼした研修医の渡辺友恵。しかし、友恵は逃げてはいなかった。
 救急車に同乗し、約70分戦った。患者が胸の痛みを訴え、友恵はパニックに陥りそうになった。心電図のモニターを確認し、血圧を確認。ニトログリセリンを男の舌の下に入れた。
「大丈夫です。これで痛みはおさまります。大丈夫です」
 2回めの「大丈夫」は自分に言い聞かせる。神様、助けてください。祈らずにいられなかった。
 海岸沿いの一本道にサイレンが鳴る。友恵は海側に向かって座っていた。正面に患者の悶絶する顔、その向こうに心電図モニター。激しく揺れる。友恵は何度も吐き気をおぼえ、その度に飲み込んだ。長崎市の郊外に入る。モニター画面の数値は安定している。パチンコ屋や紳士服の看板が助手席の窓から見える。市街地に入り、車は路面電車を追い越す。
 もうすぐだ。神様ありがとう…と、思ったとき。
「あー」
 喘ぎ声の後に、モニターがフラットになった。

(イラスト:北神 諒)

「心停止」
 友恵は叫び、心臓マッサージを始める。助手席の救命士が後ろに移動し、口にアンビューバッグをつけて酸素を送り込む。
「1、2、3」
 友恵は、両手を重ね男の胸を圧す。全体重を乗せる。
「4、5、6」
 車がぐらり横に揺れ、足をふんばる。男の妻の叫びが響く。30まで数えると救命士が「1、2」と、酸素をマスクから手動で送り込む。運転手が叫ぶ。
「先生、きばって。あと、2分ばい。どけどけ、救急車が通りよるやろうが!」
 友恵はもう何も考えてなかった。ただ機械のように、2週間前に参加した蘇生講習会のマニュアル通りに体を動かした。大学病院の女傑・長谷敦子が講習会で言っていたことを思い出した。
「感情は持たない。心肺停止の患者の前で、やれることは決まっているの。迅速に正確にやるだけ」

 平和公園を過ぎて教会下を右折し、坂を上って、大学病院の救急部の前に着いた。
 重そうな鉄の自動ドアがゆっくりと開く。何人もの医者や看護師が待ちかまえていた。友恵は心臓マッサージをしながら、患者を降ろした。
「渡辺先生、ご苦労さん。あとは任せて」
 赤いスクラブ(手術衣)を着た救急医の長谷が指示を出す。数名の研修医が素早く、心臓マッサージを引き継いだ。激しく腕を上下させる研修医。長谷が制止させた。一瞬の静寂。無音のサイレン灯が友恵のこわばった顔を照らす。長谷が、患者の顔に近づき確認する。
「よっしゃ! 自発あり、カテ室へ!」
 患者を乗せたストレッチャーは、あっという間に中に連れて行かれた。
 友恵は、入口の鉄の扉にもたれて、ずるずるとしゃがみこんでしまった。
「ああ、よかった」

 汗をふく。外から吹く風が心地よかった。両腕の痛みや腰のだるさが、なぜか、うれしく感じられた。あたし、ひとりでやれたんだ。友恵は空を見上げていた。
「ご苦労様。大丈夫かなあ」
 座りこんだ友恵をのぞき込むように、まじめそうな細身の男が声をかけてきた。名札には「循環器内科 山口大輔」とある。
「健のところの研修医の先生だろう。聞いてるよ」
 ふたりは、カテーテル室まで向かった。途中、自動販売機でオレンジジュースを買ってもらった。
「このオレンジジュース、長崎では結構有名なんだけどね」
 大輔は笑い、吹き抜けのガラス張りのロビーのいすに友恵を座らせた。
 大学病院は綺麗で大きかった。土曜日なのに人も沢山いた。たった2週間しか西果(さいか)中央病院で働いていないが、今さらのようにその違いを実感する。
送る側の気持ちが分かっただろう」
 大輔はまた笑顔で言った。