※前回(第4回)までのお話はバックナンバーからご覧ください。

 博多での合同説明会が終わり、健とさくらは特急かもめで長崎への帰路についている。
 マッシュルーム山田の相手で疲れ果てたのだろう。さくらは船をこいでいる。健も眠ろうと座席を倒そうとした時、後ろの席から声がかかる。
「お疲れでした。西果(さいか)中央病院の先生ですよね」
 ふり返ると、玄海総合病院救急部の郷田常道。
 健は一気に眠気が覚めて冷や汗が出た。えっ、俺のこと覚えているわけ? 学生のふりしてもぐりこんだのがバレたのか。健は立ち上がり、後ろを振り向いてぺこりとお辞儀した。慌ててポケットをまさぐり、名刺を差し出す。

「いや〜、疲れましたよね」
 郷田は、眼鏡の奥から鋭い目つきで健の名刺を見ながら
「矢倉先生は総合内科なんですね。研修医担当には最適だ」
「いや、うちは小さい病院なので医者が少なくて。内科医でなんでも診るので、名前を総合内科にしようって……。どっちにしろ学生には全然人気はないんですが」
 隣のさくらも目が覚め、身なりを整えている。郷田は缶ビールを差し出した。
「終点の長崎まで2時間近くかかりますよね。一緒に飲みましょうよ」
 郷田は隣に座る女性を研修医で総合内科志望だと紹介した。健とさくらが説明を受けた研修医、渡辺友恵だった。明日は長崎で西海医大の救急部と合同でICLS(蘇生トレーニングコース)をするので、この列車に乗り込んだのだという。
「医大の長谷敦子先生、知ってます?」
「女傑の?」
「そう、あの人と一緒にやるんですよ。あの人のパワーを彼女にも注入してもらおうと思って」
 なぜか、友恵とは決してあやしい関係ではないと言い訳しているようにも聞こえる。
「せっかくですので、一緒に飲みましょう」
 郷田は繰り返した。さくらもうなずいたように見えたので、「看護師の紺野さくらです」と紹介し、席を180度回転させ、郷田と渡辺が座る席と対面させた。長い髪のさくらと巻き髪の友恵、ぼさぼさ頭の健と七三で清潔感漂う郷田が向かい合う。各自、肘かけから出る小さなテーブルを出し、膝を突き合わせる。

(イラスト:北神 諒)

 郷田はビールとつまみをたくさん買い込んでいた。乾杯の後、健は正直にわびた。ニセ学生として侵入したことに友恵は全く気づいてなかったが、郷田は分かっていたようだ。
「いや、よくあることなんですよ。スパイがまぎれ込むことは」
「いやいや、失礼しました」
 郷田は優しく、話は面白かった。健は研修医の友恵に聞いた。
「なんで、玄海総合病院を選んだの?」
「やっぱり郷田先生がいるからですかね」
 彼女は素直に返したが、さくらは郷田の方を向いて吐き捨てた。
「ふーん、こういう人がタイプなんだ。苦労するかもよ」
 一瞬、空気が冷たくなり、健は何か言わなければならないと思ったが、
「紺野さん、どーいう意味? 趣味が悪いってこと?」
 郷田がおどけて目を丸くして返し、皆の笑いを誘った。健は感心した。相手の話を引き出し、気の利いた受け答えで気分を良くさせる。健の対極にある、頭の切れるインテリタイプにみえるが、嫌味がない。郷田の一挙手一投足が勉強になる。人気がある指導医とはこういうものなのだ。

 4人の会話も弾んできた。さくらはワゴンサービスからワインやら焼酎やらかまぼこやらを買い込み、ひじ掛けのテーブルに並べた。彼女が酒豪だったことを健は思い出した。
「友恵さんのお母さん、西果出身って言ってましたよね。神ノ島じゃない?」
「そうです、神ノ島。私は行ったことないんですけど。私、東京生まれの東京育ちで、九州に住んだのも初めてで。長崎に行くのも実は初めてなんです。時間があれば西果に行きたいんですけど」
 赤いカチューシャを外し、友恵は郷田を見つめた。
「うーん、明日は無理だなあ。缶詰だからね。でも地域研修で西果には行けるよ」
「えっ、ホントですか」
 研修医は2年間の初期臨床研修の中で、最低1カ月は地方の病院や診療所で研修をしなければならない。郷田によると玄海総合病院の地域研修協力病院のひとつに西果中央病院が入っているという。昨年、小佐々が院長に就任してからすぐに協定を結んだらしい。健もさくらも知らなかった。玄海総合の研修プログラムは柔軟であり、選択科の変更がいつでも可能で、そこも人気の理由のひとつらしい。

「ホントですか! 西果で私、研修できるんですね」
「来て、来て、渡辺さん。こんな短気でお調子者の指導医しかいないけど」
 さくらは既に酔っているのか、テンションが上がっている。
「そんなことないですよ。私、健先生のファンになりました」
「えー、どんな趣味してるの。結局、あなた誰でもいいわけね」
 4人は声を殺して笑った。
 有明海の夕日が残る宵を走る列車の中は、この一角を除いて眠りにつこうとしている。しばらくすると、完全に緊張が解けた健もいつのまにか睡魔におそわれ、小さな笑い声を聞きながらシートにうずもれていった。
 列車は海沿いの線路をゆっくりと走ってゆく。途中、健は一度目が覚めた。単線を走る特急かもめが上り列車を無人駅で待っている。斜め前で友恵が眠っていた。
 隣のさくらと向かいの郷田の席は空いていた。