(イラスト:北神 諒)

「お前しかいない。助けてくれ。西果中央で働いてくれ」
 人が土下座しているのを健は初めて見た。
 なんで、お前が。エリートコースを歩む同期をそこまでさせる医局は何を考えているのだろうかと腹立たしくも思えた。今さら地方へ行くつもりはまったくなかったが、大輔の顔を潰すわけにも行かず、4年ぶりに長崎の医局を訪ねると、今度は教授に懇願された。
「頼む。第一内科出身の小佐々先生が西果の院長になったからには、我が医局が小佐々先生を支えるべきなのだが、人がいない」
 同門(同じ医局出身者)が関連病院の病院長になるということは、医局の名誉でもあり、通常は御祝儀として医局員数名を新任院長と共に送りだすのが習わしだ。しかし、その力を今の医局は持っていない。それでも、体裁は保ちたい。恥を忍んで、去る者も追わなければならないほど、地方の医療事情は逼迫している。
「知ってのとおり、マッチングが始まって入局者は半分どころか3分の1程度だ。毎年、新人が2〜3人しか入らない。ゼロの年もあった。とてもじゃないが、西果中央病院には人は出せない。退局した君に頼むのも筋違いだろう。しかし、ここは矢倉君に頼むしかない。小佐々先生の片腕となり西果を救ってくれ。君たちは、ラグビー部の先輩後輩らしいじゃないか」
 教授が頭を下げているのを健は初めて見た。

 同席していた小佐々英雄も、そのいかつい体をせいいっぱい小さくして頭を下げていた。年上から頭を下げられるのは、さみしいことだと健は感じた。偉い人は偉い態度で居てくれる方が下っ端としては安心する。それができない状況なのだろう。なぜか自分が悪いことをしているように思えた。
「俺って、結構、面倒くさい医者ですよ」
 教授室のソファーに並ぶ、教授、小佐々、医局長、副医局長の大輔が次々に持ち上げる。
「そんなことはない。頼むよ、矢倉君」
「おまえの歯に衣着せぬ態度が、停滞した西果中央に必要なんだ」
「矢倉のやぐらしかーが、今、必要なんだ」
「健のドサ回りの経験が研修医を獲得するためには必要なんだ」
 健は背中に変な汗をかいていた。見えすぎた小芝居は悲しかったが、空気が読める昔のお調子者にもどりたい自分もいた。まあ、いいか。どうせ東京でも暇だし。
「よかですよー」
 医局は、小佐々と健のために、盛大な壮行会までしてくれた。教授からは再入局の勧めもあったが、さすがにそれは断った。そんな覚悟はない。そして思った。
たった3年でこうも没落する地方医局とは何なんだろう。ここの医療はどうなるんだろう。東京とは全く違う世界なのだ。

 ※   ※   ※

 博多国際会議場の合同説明会、西果中央のブースでは、東京の医学部5年生のマッシュルーム山田が、まだ話を続けている。看護師さくらが、彼の目をみつめて熱心にうなづいている。
「そういう訳で、サイカシティーのゲームを始めると止められないですよ。ヤバいですよ。マジ、ヤバいんですよ、矢倉先生、さくらさん、わかります?」
 そうか。ゲームはもう始まっているんだ。研修医を獲得しないと地獄に落ちるというゲーム。それを分からせるために、腹をくくらせるために、小佐々はさくらとともに俺を送り込んだんだろう。
「わかる。よくわかるよ、山田君」

 博多発長崎行きの特急かもめは混雑していた。
 合同説明会は夕方5時に終わり、6時発のかもめに健とさくらは乗り込んでいた。休日に博多で遊んで大きな袋を抱えて西に帰る若いカモメ族で、車内は満席だった。
 ふたりは、小佐々が予約してくれた指定席に並んで座っていたが、互いに疲れ果ててひとこともしゃべらず、健は缶ビール、さくらはコーヒーを黙ってすすっていた。
 結局、ブースを訪れたのはマッシュルーム山田のみだった。彼はゲームの話を終えた後、健が用意してきた説明もろくに聞かずに熱く宣言した。
「西果中央で働きたいです!」
 この信じ難い出来事を報告すれば、小佐々は喜ぶだろうか。健は夕暮れの博多の街を見ながら、昔の小佐々を思い出していた。

 ※   ※   ※

 健と小佐々が出会ったのは、健19歳、小佐々29歳のとき。高校時代はラグビーに明け暮れた健が1年浪人してなんとか医学部生になった年で、小佐々は医学部最終学年の6年生だった。
 健は大学ではラグビーはしないと心に決めていた。軟派なサークルで大学生活をエンジョイしたかったからだ。しかし、入学してすぐに合コンサークルに入り、毎晩のように飲んで騒いだものの、なぜかつまらない。いつの間にか、ひとりでショットバーに通うようになると、短髪のがっしりした男が蝶ネクタイをしてシェーカーを振っていた。
「またボールを追いかければいいんじゃ」
 その一言がきっかけでラグビー部に入ったら、そこにもその男、小佐々がいた。
 彼はラグビー部ではレジェンド的な存在であった。4年生の時にキャプテンを務め、西医体ではじめて西海医大を優勝に導いた。しかし、その後はあっさりと現役を退いて、留年に休学と復学を繰り返す。一時は東京でバーテンダーをしていたとか、ニュージーランドにラグビー留学をしていたとかの噂もあった。健が1年生の時にはたまにボールを蹴りに来るぐらいだったが、時々健に声をかけてくれていた。
「楽しくやってるか、ちゃんと遊んでるか」