※前回(第2回)までのお話はバックナンバーからご覧ください。

 大学卒業後、健はさくらと久しぶりに会った。それが8年前の夏。44の医学部生の多くが参加する夏の一大イベント、西日本医科学生総合体育大会、通称、西医体のラグビー会場だった。

(写真はイメージです)

 その年、西海医科大ラグビー部は、十数年ぶりに決勝まで進んだ。久々の後輩たちの活躍に健らOBも盛り上がり、博多の帝大グラウンドに集まった。
 試合開始前、チームは軽く練習をしていた。グラウンドでは、ヘッドキャップから長い髪をなびかせる女子が走っている。楕円形のボールを受け取ると、22メートルラインの左30度からドロップキック。ボールは夏の空に高く上がり、H型のラグビーポールに吸い込まれていった。
 さくらの俊敏性とキック力は目立っていた。小学生から父親に連れられてラグビースクールに通ったステップは、大学から始めた医学部ラガーマンにも十分通用していた。もちろん、彼女は女性だし、医学部生ではないので公式戦には出場はできなかったが、OBたちの目をくぎづけにしていた。OBの中で唯一優勝経験があり貫禄のある短髪の男が大きな声で言った。
「彼女を試合に出したら勝つんじゃないか。健、お前のチンチン貸してやれ!」
「小佐々先輩、勘弁してくだいよー」
 OBたちは大笑いしたが、すぐに、彼女に圧倒されて笑いは消えた。
 試合開始の直前、円陣を組んだチームの真ん中で、さくらは掛け声をかけた。
「絶対、勝つぞー」
「おー」
 彼女は拳を握り、男たちの腹を叩き始めた。
「気合!」
 バシッ
「おッす」
「気合!」
 バシッ
「おッす」
 ヒゲづらの図体のでかい男たち一人ひとりにボディーブローを入れるさくら。その試合前のセレモニーを初めて見た健や小佐々はのけぞった。
 さくらは4年間、実質上のコーチとしてこのチームを率いたようだった。看護科に女子ラグビー部を創設したが、なかなか人が集まらずプレーヤーとしては活躍することができなかった。しかし、彼女は医学部ラグビー部のマネージャー兼コーチとしては、西医体の中でも当時有名人だったようだ。

 その日の決勝は残念ながら負けたが、健はさくらと少し話ができた。
「わたし、卒業したら、博多の病院に勤めます」
「なんで?」
「博多には女子ラグビーチームがあるんですよ」
「へー、さくらジャージを狙っているのか」
 ラグビー日本代表のユニフォームには、さくらが刺繍されている。
「そんなバカな。いつかは長崎に帰って、父のスクールで、ちびっ子にラグビー教えますよ。ところで、健先輩、今どこですか」
「五島列島の小さな診療所。内科をしている」
「そっか。父のスクールは西果でやってるんですけどね。五島じゃ、遠いですね」

    ※    ※    ※       

「西果へ帰りましょう」
 さくらはそう言って、休憩スペースの長いすから立ちあがった。
 健は小さな紺色のバッグをラグビーポールのようにパス。さくらは両手で受け取り、軽くステップを切っておどけてみせると、自分たちのブースへ歩きだした。相変わらず白衣やスクラブを着た病院スタッフの呼び込みの叫び声と医学生たちの弾む声で会場は騒然としていた。PRビデオや派手なポスターが踊り、ゆるキャラが御当地の銘産品の米やジュース、お菓子を配る。
「クマモン人気はすごいね」
 周りには大勢がたむろし、歓声が上がっている。もう、お祭りとしか言いようがない。
「いくらなんでもやりすぎだろう」
「やりすぎどころか、県知事が来ているところもあるって聞いたわ」
「マジ?」
 医師不足はどの県も深刻である。医師の獲得が知事選の公約になっている県もあるほどだ。段々とこの任務の重要性がわかってきたふたりだが、人だかりを眺めながら歩いていると、自分たちのブースをうっかり通り越してしまうところだった。
「?」
「?」
 人が座っている。
 ふたりは目を疑った。ブースの名前を確認した。確かに、西果中央病院のブース。ひ弱そうな、マッシュルームヘアーの男子学生がぽつんと座っている。
「来たー」