※前回のお話(第1話)はバックナンバー欄からご覧ください。

 健とさくらは玄海総合病院ブースの前に立っている。相変わらずの人気だ。
 博多国際会議場の就職説明会。西果中央病院のブースに医学生はとんと寄り付かない。ジリ貧状態を何とか打開しようと、リクルート担当者ふたりが学生に化けてほかのブースを訪れ、学生を集めるノウハウをゲットする。潜入作戦が始まろうとしていた。
 ブースの前に並んだ横4列×縦4列のパイプいすには、16人の医学生が座っている。その後ろに順番待ちの医学生が取り囲む。説明は10分間のようだ。列が10分ごとにはけてゆく。説明者は、おそらく健と同じ30代半ばの男性医師が1人と女性医師が1人、そして研修医の男性1人、女性1人の合計4人で対応している。
 身振り手振りを交えてのマンツーマンの説明。全員が半袖の赤のスクラブ(手術着)でそろえ、胸にはGenkaiのロゴが躍る。聴診器を肩にかけて、胸ポケットには赤いストラップのついた院内用のPHS。右側のボードに流れる動画では、研修医が走り、手術し、患者と共に笑っている。左側のボードには研修医教育の方針が細かい図で説明されている。後ろのボードのポスターは、彼らがドクターヘリに颯爽と乗り込む姿だ。
「玄海で君のドラマが始まる!!」
「Genkaiまで君の能力を引き出す!!」
 赤い文字が大きく踊り、赤と青を基調とした躍動感あるブースデザイン。まるで月曜夜9時のテレビドラマのセットをそのままここに移したみたいだ。

「かっこよすぎる……」
 さくらがボソリとつぶやく。狭いブースを巧みに使った演出は若い学生の気持ちを完全につかんでいる。彼、彼女たちは、スクラブを着た俳優のような医者たちに吸い寄せられて憧れと尊敬の眼差しを送っている。握手を求めたり、サインをもらったりしている。ちゃっかりした奴は、積極的に質問して自分をアピールしている。自分の名刺を差し出し、履歴書を出す奴もいる。まさに競争だ。
 さくらと健は呆然と立ちすくむ。   
「2名様ですね。ここで座ってお待ちください」
 若い女性から案内され、ふたりは渡された病院のパンフを食い入るように見た。表紙に写るのは、玄界灘を見渡せる広大な敷地に、航空母艦のような病院。
『1,160病室。ヘリポート完備。1日の平均新入院患者150人、1日の平均外来患者数2,850人、救急車受け入れ台数年間10,092台、救急患者数68,254人、手術件数12,240』。パンフレットには、圧倒的な数字が列挙されている。
「医者が445人に、看護師が1,292人。すごすぎる……」
 今度は健がつぶやく。それに比べて、隣のブースの潰れそうな西果中央病院は、病床数250 、医師は60人いたが今はかなり減って29人、看護師数は少なくて公表したがらない。患者数……、知らない。健は何度も溜息をついた。
 いつのまにか最前列の席に来た健とさくらがエントリーシートを出すと、若い女性の研修医が受け取った。
「そんなにすごくないですよ、実は。研修始まると目の前の患者さんに追われて、病院の規模とか意識しないと思うし、あんまり病院が大きいと細分化しすぎて研修には向いてないという人もいますしね。えっとー、お2人ですね、長崎からですねー。私の母も長崎なんですよ。西果の出身なんです。ご存知ですか、西果?」
 マズイ、面が割れている。ドキッとしたふたりに構わず、彼女は続けた。

(イラスト:北神 諒)

 彼女の名前は渡辺友恵。一年次研修医と名札に書いてある。巻き髪に赤いカチューシャ。初々しさというよりも、幼さの残る容貌だ。
「私は、4月から研修医2年目なんですけどね。1年間働いた私の経験というか、感じたままを説明します」
 育ちの良さそうなおっとりしたタイプ。ゆっくり丁寧に話す。長い髪を後ろに結び、いちいち目を丸くしてふたりを見る。かわいい。
「えーと、玄海総合の研修の売りはですね」
 なるほど、〈研修の売り〉という言葉を使うんだ。
「売りは、まずは、圧倒的なプライマリケア症例数。数が多いんです」
 さくらが聞いた。
「えっ、プライマリケア症例って?」
 馬鹿な質問をするなと健は肘で合図した。
「いいんですよ、どんな質問しても」
 友恵は微笑んで健の方を見た。
「プライマリケア症例とは、かぜとか発熱とか腹痛とか、ありふれた病気のこと」
 友恵は、丁寧に説明を始めた。
 2004年に新医師臨床研修制度が始まり、国が定めた内容で研修しなければならなくなった。研修医はできるだけ沢山の患者、それも様々な症状の患者を診るべきとされた。例えば、熱が出た子供、かぜをひいた会社員、便秘のおばあちゃんとか。よく見かける症状を持った人が最初に医療機関にかかる。その人たちをプライマリ患者と呼び、そういった患者を診察することをプライマリケアと呼ぶ。
「大きな病院でプライマリケアができるところは少ないですから。だからウチは強いんです」

 昔の研修医たちは大学病院で研修し、難しい重症の患者ばかりを山ほど診ていた。「重症は診られても、かぜ引きを診られない医者ばかり大学は作っている」と批判するアンチ大学派。医師の人事を支配し医療行政に強力な力を発揮していた大学医局を害悪と思っていた旧厚生省。両者の利害が医局を潰すという点で一致し、新研修制度とマッチングという悪法を導入した――。
 こう恨んでいる小佐々のような医師や行政関係者は多い。しかし、東京出のフリー医師である健に、そんな感覚はない。始まったものは仕方がない。昔と今は違ってきているんだから。
「俺の頃は重症を診られる研修が良い研修だった。今は、かぜ引きを診られる研修が良い研修か。なるほど。これなら西果でもやれるんじゃないか」
 健はそう思った。だって、プライマリ患者は山ほどいる。インフルエンザの保育園児、喘息発作の小学生、何を食べたのか嘔吐に下痢で運ばれてくる中学生。喧嘩で骨折したのに階段で転んだと言い張る漁師のおっさん。畑の野菜で病院代を支払おうとするおばあちゃん。みかんが万能薬と信じるおじいちゃん。
 ユニークなプライマリ患者も、勘弁してくれってほど、西果中央病院にやって来る。