「あの時の学園祭で私たちラグビー部が模擬店やったでしょう。カレー屋さん。全然売れなくて、健先輩たちは逃げだしたのよ。その後どうしたか知っている」
 健は思い出した。さっきの既視感は昔の学園祭か。さくらがテントの前で連呼していた。
「カレーいかがですかあ。おいしいですよ、ラグビー部特製カレー」
「寄って行きませんかあ。おいしいですよ、具だくさんの特製カレー」
 確かにまったく売れなかった。その後は覚えてないが、さくらの話によると、作戦を変更して、カレーの寸胴をリヤカーに乗せて売り歩くと、飛ぶように売れたそうだ。正確には11年前の話だ。
 さくらが18歳の新入生の時、健は23歳の5年生の秋の学園祭。さくらは、当時珍しかった(多分、今でもそうだと思うが)女子ラグビー部を西海医大の看護科に自分で作り、俊足のフルバックでキャプテンでもあった。健は、医学科のラグビー部でスクラムハーフ。
「さくらは、昔からバッテン、お祭り好きのヤグラシカ奴やったバイ」
「あのー、センパイ。先輩の方言って、昔から微妙に違うのよね。キモい。東京の人が、無理して長崎の方言使う必要ないでしょ。やめてもらえます?」
「ほっとけ」
「とにかく、このマッチング説明会で、正面からスクラムで押す作戦は無理よ」
「じゃあ、どうするんだ?」
「走って、走って、パスをつなぐしかないでしょ」
「確かに」
「最初にパスを出すのは、誰?」
「スクラムハーフ」
「そう、先輩じゃない! 出しなさいよ。大丈夫。私の作戦、結構当たるのよ」
 健は、わかったわかったと首を縦に振った。そして丸めた白衣をさくらへパス。
「そいじゃあ、やってみゅーか、さくら」
「やってみゅーで、先輩!」
 さくらは満面の笑みを浮かべた。「変な方言はやめて」と再度彼女は注意した。
「よか、よか、これが俺のやり方たい」
 健の顔にも生気がもどった。

 さくらはトイレに駆け込み、ナースウェアからスーツに着替えた。化粧を落とし、コンタクトを外して眼鏡をかけてポニーテールに。ブラウスのボタンを上まで閉じて、ヒールのかかとを踏みながら、こっちに歩いて来た。健は噴き出した。
「化けるね―」
 田舎から出て来た、勉強しか知らない女子医学生に見える。もともと童顔の彼女は化粧を落とすとさらに若く見える。化けたさくらは、健を柱の陰に連れてゆき、健の髪をボサボサにとかし、ネクタイをゆるめ、ワイシャツを無造作にまくり、パンツを腰まで下げさせた。
「チャラ〜い。いいい出来。田舎の、頑張ってるけど冴えない学生って感じ」
 さくらは、健の髪をいじりながら楽しそうだった。
「まあ、先輩も見た目は若いし、それに、なんか昔から生活感がないんだよね。ふらふらしてるっていうか…。だからかなあ、若く見えるのは」
 それはよく言われる。ふらふらしている、落ち着きがない、生活感がない、根が張ってない。健は東京で生まれたが、税関職員の家庭に育ったため港のある街を転々とした。そのためだろうか。医者になっても1年おきに病院を替えている。

(写真はイメージです)

 変装したふたりは正面ロビーの受付に進んだ。すんなりと「学生用当日受付」列に通された。若い女性が対応し、名札を差し出す。
「どちらの大学ですか」
「西海医科大の6年生です。彼も同じです」
「あちらのテーブルで、エントリーシートに記入して下さい。エントリーシートは5枚複写になっています。ブースに入り説明を聞く際に1枚お渡し下さい。渡して頂けるとシールがもらえます。シールを名札に貼って下さい。3つシールが貯まりますと、お弁当。4つでUSB、5つで図書券がもらえます」
 健が名札を受け取る。怪しまれてない。医学生は一般の学生よりは年を食っていて、学士入学とかもあり、年齢は様々。化けようと思えば誰でも化けられる。
「へー。5つで、図書券ね。6つで、お姉さんとデートできるとか…は?」
「はー?」
「バイト? 仕事、何時まで?」
「……」
 慌てたさくらが健の袖を引っ張って連れて行く。
「若い子見るとすぐに声かける。チャラさは昔と同じね。昨日も行ったでしょ?」
「はあー?」
「中洲のキャバクラとか……。別にいいけど」
 さくら、なぜ知っている。大将がばらしたか。口が軽いからなー。あの大将。
でも、田舎に閉じ込められて24時間拘束で働く医者が、たまに羽根を伸ばしてもバチは当たらないだろう。悪い? 俺は聖人じゃない。キャバクラ大好き、フーゾク万歳だ!
 健は、昨日の中州のネオン街を思い出し、ひとりにやけていた。さくらは、健のことなど気にせず堂々と歩いて行く。健がとぼとぼ追っかけた。

 ふたりは正面入り口に立った。
 さくらは腕を組み、仁王立ちする。まるで、ラグビージャージを着てグラウンドに立つような気合の入れようだ。場内アナウンスが流れた。絶叫している。
「医学生来場数が900名を突破しました、過去最高です!」
「お―っ」と会場全体から歓声が湧き、喧騒の中に何かしら熱い空気が伝わる。
「さあ、どこから行きましょうか」
 気合を入れて、入口の大きな看板をさくらは見上げている。病院配置図だ。
 国立博多医療センター、日赤九州救急病院、私立玄海総合病院、徳光会中央病院…。黄色枠で囲まれた人気がある病院は、正面のメインストリートや角の広いスペースがあてがわれている。学生の導線を会場の隅々まで行きわたらせる工夫だろう。
 さらに、シールを集めて弁当をもらうために、学生はぐるぐると会場をまわる。
 うまくできている。人気のない無名の病院は、黄色枠の狭間とか出入り口に近い場所などに追いやられている。弱肉強食が一目でわかる配置図だ。
「まずは、玄海総合病院ね」
「それは、ヤバかよ。うちのブースの隣よ。面が割れているよ」
「あり得ない。向こうはひっきりなしで説明しているわけだから、他人のブースのことなんて気にする暇もないはずよ」
 さくらの作戦は始まった。

※「フルマッチ」は毎週月曜に掲載します。