医学生側にとっては医師不足になればなるほど有利。完全な売り手市場だ。
 そんな中、さくらは、ブースの中に立ち、必死で連呼していたのだ。
「どうですか、日本最西端の病院で研修してみませんか」
「サイカ中央病院です。一度話を聞いてみませんか」
「いいところですよ。夕焼けが綺麗な西果市、ミカンやスイカが名産です」
「寄ってみませんか、シーカヤックできますよ」
 切なく甲高い声。傍らでじっと石のように座る健。何度もくりかえすさくらの声を聞いているうちに、健は、むかし同じような体験をした既視感に陥っていた。
 さくらの声に、時おり医学生が反応する。
「最先端? 最西端? スイカ? サイカ? ハ―、何だそれ」
 冷笑されている。健とさくらは、ただただ耐えていたのだった。しかし、ついに健が逃げ出し、挙句に、さくらのボディーブローを食らった。
 そして今、ふたりは、ロビーのベンチに座り込んでいる。ナース姿のさくらはしょげかえっている健の肩に手をあてて顔をのぞき込む。
「作戦を変更しましょう、先輩!」
「?」
「待っててもしょうがないわ。まず、敵を知ることから始めましょう。つまり…」
 さくらと健が医学生に化ける。化けて、いろんな病院を回って説明を聞き取る。プレゼンの資料やしゃべり方、ポスターの作り方とかブースの飾り方をこっそり観察する。敵の研修医集めのノウハウを盗んで、そしてブースを再開させる。
「無理、無理。あんたいくつ。もう三十路やろう?」
「失礼な。まだ、にじゅう〜〜く」
 さくらはむくれた。
 むくれた顔を見ながら、健は思った。確かに彼女は年の割に若い。つい2週間前、8年ぶりに彼女と健は再会したが、大きな瞳と端整な顔立ちは看護学生の頃と変わらない。すぐに彼女と分かった。
「まあ、さくらは昔から童顔だからヨカよ。俺、34よ。今年で35歳。どう見ても学生に見えんやろー。そいでさー、敵を知ってさ、何の意味が……」
 健は途中で止めた。さくらが寂しそうにうつむいてしまったからだ。
 健が続けたかった話は、さくらもわかっているだろう。
 どうせ敵を知る前に、病院は潰れる。経営は火の車らしい。市町村合併の時にいろんな病院が合併してできた病院だからチームワークがない。建物も30 年前の大災害の後に改築した後は何もしていない。それに大学の医師派遣、完全撤退の噂がある。今年一杯でダメだろうという噂は、患者まで伝わっている。

 その噂の発端は昨年の秋だった。
「研修医がいない病院には、原則、大学の医師を派遣しない」
 西海医大の学部長が言ったそうだ。しかし、正確にいうと派遣しないとは言っていない。「研修医を育てる教育病院に、集中的に大学の若手医師を派遣したい」と学部長が関連病院会議でつぶやいただけだ。その場にいた大学から医師の派遣を受けている百数十人の病院長たちは、青ざめた。小佐々病院長は倒れそうになった。その言葉を裏返すと「研修医がいない病院には医師を派遣しない」となるからだ。
「なぜですか? うちは潰れるじゃないですか。潰す気ですか!」
 その会議の場で小佐々は、半泣きでそう発言したそうだ。しかし、小佐々の発言に他の病院長たちは冷ややかだったらしい。
「しょうがないでしょう。ない袖はふれない。医局に人がいないんだから」
「大学の医局としては、研修医が沢山いる病院に若手医師を派遣する。若手が研修医を教えならがリクルートして、自分の医局に入らせる。医者の数を増やす方法はこれしかないんですよ」
「小佐々院長、頼んでばかりじゃだめですよ。あなたの病院はマッチングが3年連続ゼロ、研修医獲得ゼロでしょう。自助努力はやってるんですか?」
「小佐々君はまだ若いから、院長になったばかりだから……。しょうがないですね」
 収集がつかなくなりそうになった時、そう言って議長が最後に締めてくれた。
 昔は護送船団だった関連病院会議。今は、船団の旗艦が沈みそうな状況で、各船の船長たちはそれぞれが生き残るだけで必死なのだ。生き残り競争は始まっていた。
 新制度(マッチング)以降、全国ではいくつもの病院が潰れたり、縮小した。長崎やその周辺の西九州でも、大学が撤退した後、潰れたり、合併したり、買収されたり、縮小を迫られた病院は50を下らないだろう。もちろん新制度だけのせいではなく、地方の高齢化や人口減少も影響しているのは確かだ。ただ、医療の縮小がこどもを持った世帯の地域からの流出を促し、次に学校がなくなり、地域が滅びてゆくという構図があることも確かだ。地元の西果にUターンして、西果中央病院へ就職したばかりのさくらも職を失う可能性がある。

 さくらの無茶な作戦を聞いた健は反論する。
「うまく化けて敵を知ったとしても、無駄。しょせん、田舎には研修医は来んよ」
「じゃあ、先輩、また逃げるの」
「やぐらしかねー。さっきから、また、っていうけど、いつのことば言いよるとね」
 健は方言を使い語気を強める。
「10年前の学園祭」
「10年前?」
「そう」
「そんな大昔、やぐらし」
「大昔じゃない、10年前」
「うわー、やぐらしか女」
「やぐらしくない」
「さくらちゃん、根に持ちすぎやろう。10年前の学園祭なんて誰も覚えとらんさ」
 さくらはぺろりと舌をだした。
「そうだよね、エヘヘ、覚えてないよね。アハアハー」
 健も笑った。ふたりの笑い声が高いロビーの天井に響く。小芝居のようなやりとりが面白かったのか、学生時代を懐かしく面白く感じたのか、ストレスから逃げたいのか…、健とさくらは大声で笑った。馬鹿笑いするなんて久しぶりだ。
 健は2カ月前、2012年1月に潰れそうな西果中央病院に東京からやって来た。この病院に来て、初めて笑ったような気がする。さくらは昔の話を続ける。