【前回までのあらすじ】

 初期研修医のディーゴとジョージ、レイカは江戸大学病院の初期研修医。6月から、消化器外科での研修が始まった。分子標的薬治療の患者を担当することになったディーゴたちが、初回投与翌朝の採血結果を見ると…。



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 6月9日、木曜日。僕たちが受け持つ患者、海野さんと高井さんの分子標的薬の初回投与翌朝の血液検査結果は、あまり思わしくない結果だった。
 まず僕とレイカが担当している海野さんは、電解質異常が増悪してしまった。腎機能については 血中尿素窒素(BUN)37、クレアチニン(Cre)1.4とあまり変わらなかったが、カリウムの値が5.3から5.5に増加したのだ。ただし、内服薬とカリウム制限食を開始してまだ3日ということで、もう少し様子をみることになった。
 そしてジョージが担当している高井さんだが、こちらは逆にカリウム値が低いままだ。3.0から2.9と、さらに低くなっている。高井さんもまだ治療を始めたばかりではあるが、低カリウム血症は不整脈のリスクになるため、点滴の中にもカリウム製剤を混入することになった。


 今日の夜は、ブルジュ・ホテル東京で開催される講演会に参加することになっていた。江戸大学病院に新しく導入されるCTの説明会だ。
 2000年初頭に16列のCTが登場し、全国の病院にCTが導入された。その後、2012年に320列CTが出てきた時の衝撃は凄まじかったらしい。心臓のCTが短時間で撮影可能で、しかも造影剤の量と被曝量が少なく済むようになったのだ。今回導入される640列CTは、さらに性能が上がっている。1回転0.2秒と過去最速であり、管球1回転での撮影範囲も30cmを超えるため、小児であれば胸部や腹部CTも一瞬で撮影できるのである。検査を受ける患者さんにとってはさらにメリットが増える。
 一方、課題は本体価格が10億円以上もすることだろう。保険点数は640列でも64列でも同じということを考えれば、導入できる病院は限られてくる。だからこそ、臨床研究や症例報告などで武器になるともいえる。

(イラスト:司馬サヤカ)

 640列CTの素晴らしさについて身振り手振りを織り交ぜて説明するのは石井洋輔教授だ。現在僕たちが研修で回っている消化器外科の教授である。そして座長は鈴木裕輔先生、消化器外科の基礎研究分野の准教授だ。春先から積極的に講演会の宣伝がされていたため、かなりの人数が出席している。初期研修医だけでも40人くらい出席しているし、後期研修医などの若手の医師も多く出席しているようだ。総勢120人の中に、まだ循環器内科で後期研修を続けている総合診療科の宮沢の姿も見つけた。
「よう、ディーゴ! 消化器外科は楽しいかー?」
 宮沢も目ざとく僕を見つけ、講演会中にもかかわらず、いつもの感じで声をかけてきた。一斉に振り返った参加者の視線が痛いが、宮沢の辞書にTPOの文字はないようだ。
「今日の座長は鈴木裕輔先生かー。石井教授とは過去にあんなことがあったのによく仲良くしてるなー。おっと、やばいやばい」
 ここでわざとらしく口を押さえる宮沢。何があったか聞いてほしそうな目をしているが、講演会中なのであえてスルーする。
「あれ? 知りたくないの? 石井先生と鈴木先生、昔は江戸大学病院消化器外科のダブルエースだったんだぜ。あの事件があるまではな…」
 スルーを決め込む僕に、宮沢はしつこく絡んでくる。「あの事件」って何だろう。そういえば、石井教授は医療訴訟を抱えているという噂を学生時代に聞いたことがある。何か関係あるのだろうか。
「ま、いっか。今週土曜日のディーゴ飲み会のときにでも話すわ。講演会の出席表には丸をつけたし、つまらないからそろそろ帰るわ。じゃまた明後日!」
 そう言い残すと、宮沢はサササっと出入り口から帰っていった。


 6月10日、金曜日。今朝も初期研修医である僕たちは、6時に病院に来て採血をする。消化器外科に配属されて1週間。この生活にもかなり慣れてきた。消化器外科は帰宅時間が早いので、自ずと早寝早起きになる。
 採血結果は海野さんも高井さんも改善していない。どちらかというとやや増悪だろうか。海野さんのカリウム値は5.5のままで、腎機能もCre1.4と変わりない。BUNに至っては42と、さらに上昇している。補液もしているが、まだ脱水なのだろうか。高井さんにはカリウム製剤を点滴内に入れたにもかかわらず、カリウム値2.9のままだ。なかなか改善しないが、肝機能障害やその他の副作用が出ていないのが救いだ。
 カンファレンスの結果、現在の治療を続ける方針になった。

 午後、細田先生が心電図モニターにパソコンをつないで何やらいじっている場面に遭遇した。海野さんと高井さんの心電図モニターの設定をしているようだ。何かトラブルでもあったのだろうか。
「先生、心電図モニターがどうかしましたか?」
 僕が声をかけると、細田先生は少し驚いた表情で振り返った。しかし、すぐいつものビジネススマイルに戻り、説明を始めた。

「これはですね、院外の個人スマホでも入院患者さんの情報を見ることができるように設定するための作業なんです。まだα版ですけどね。明日から京都で開催される『医療IT学会』で座長をするから、週末は江戸大学病院に来られないんですよ。そこで、院外でデータを確認するための実験をしています。外でデータが見られれば、患者さんの訴えや表情などを知りたいときに、電話で検査や治療を連絡できるようになるわけです。最近、病院間の連携強化やマイナンバーを使って情報を共有するなんて言う人が多いけれど、そんな簡単なことじゃありません。最大の個人情報である医療情報が目的以外の用途に使われることは絶対に避けなければならないからです。医療に限ったことではないけど『便利』と『リスク』は表裏一体なんですよ。そこで今検討しているこのα版はね、いったんデータを匿名化して、必要なデータのみを抽出して院外のスマートフォンからアクセスするというイメージですかね」

 要するに、利便性を高めるには、さらなるセキュリティー対策が必要ということのようだ。噂では、細田先生はこの若さで『医療IT学会』の次期理事長候補の筆頭とのことだが、納得の知識量だ。ぜひアプリ「ディーゴ」のブラッシュアップにも関わっていただきたいところだ。
 細田先生は、電子カルテと心電図モニターの設定、スマホでの動作確認を手早く済ませ、京都に向けて出発してしまった。
 その後姿を見送りながらジョージがつぶやく。
「『便利』と『リスク』は表裏一体か。それを意識しながらITを活用するのであれば、共感できるな」
 アンチITのジョージだったが、医師同士の遠隔相談サービスアプリ「ディーゴ」の一件以来、ITの活用にも少しずつ理解を示してきているようだった。

※「DDDDD〜ディーゴ〜」は毎週月曜に掲載します。