その時、恐れていたことが現実になった。患者さんが冷や汗をかいて白目をむいている。呼び掛けにも反応しない。宮沢が焦って声を上げる。
「ちくしょう、なんでだよ。急変コール!バイタルサインのチェック!」
 角野さんがベッドサイドのナースコールで急変を伝えると、すぐに血圧を測定しながら、放射線科に電話をした。
「血圧120の60、点滴のスピードを早めます。MRI室は20分後、CTはすぐに撮れるそうです」
 ふと、一昨日見た光景と同じだ、と思った。
「モニター心電図は脈拍100で洞調律です。意識レベルはJCS 3桁で変わりありません。SpO2はroom airで95%です。明らかな麻痺はなさそうです。点滴1本目がもうすぐ終了します。点滴は手元にある生食500mLをつなぎます。それではCT室に向かいます」

 その後は、一昨日と同じように全身のCTと頭部MRI検査を行った。そしてまたしても、異常所見は認めなかった。今回は検査から病室に戻った後も意識障害が遷延していたため、やはり脳梗塞の可能性が高いと判断し、1時間後に再度MRI検査を行った。しかし脳梗塞の所見は認めなかった。2回目のMRI検査が終わる頃には患者さんの意識も完全に回復して、麻痺もなく手技の前と同じ状態になっていた。
「いったい何が起こったんだ。またTIAか? 今朝の血液検査では意識障害を来すような所見は何もなかったけど。さっきの血液検査と血ガスの結果はまだ出ない?」
 宮沢は、頭を抱えながら渋い表情だ。一方主治医の江頭先生はというと、終始遠くから眺めているだけだった。
「2回もこんなことが続くなんて。何かおかしなことはなかったか? どんな些細なことでも良い。手技前後、手技中、いつもと違うことはなかったか?」
 宮沢が誰に言うでもなく、問い掛ける。それに対して恐る恐る答えたのは、角野さんだった。
「2人に共通しているのは、金子凡平先生が担当している臨床試験の対象者ということです。『球形多孔質炭素が期外収縮に与える影響』という研究ですが、2人とも、今週の月曜日から内服を開始しています」
「そうか、臨床試験か…」
 
 大学病院で臨床試験が行われること自体は珍しくない。ただ、今回は新薬の治験ではなく、既に承認されている薬剤の製造販売後臨床試験。要するに、承認された薬剤の効能や副作用を確認するための臨床試験だ。既に安全性が確立されているはずの薬剤なので、このような急激な体調の変化が起こる可能性は低い。

 製造販売後臨床試験が急変の原因となる可能性は低そうだが、それにしても自分が関わっている臨床試験対象者が急変しているというのにベッドサイドに顔を出さない金子Jr.は医師としてどうなのだろうか。江戸大学病院の循環器内科は虚血性心疾患チームと不整脈チームに分かれており、研修医は基本的に虚血性心疾患チームに配属される。金子Jr.は今月から不整脈チームなので、あまり関わりがない。とはいえ今日は外来日や外勤日ではないから、急変に駆け付けることはできるはずだ。
 そんなことを考えているうちに、血液検査の結果が出た。データは全て異常なし。結局、今回もTIAということになった。
「本当にTIAですか?」
 ジョージの質問に宮沢が険しい顔で答える。
「可能性は低い。でも検査結果がこうなんだから、TIAというほかないだろ」

 仕事が一段落し、僕とジョージが研修医室に戻ると、レイカは自分の机に突っ伏していた。どうやら試験穿刺の時に手間取ったことが今回の急変につながったのではないか、と自責の念に駆られているようだった。皮下血腫が動脈を圧迫したかもしれない、脳に血栓を飛ばしたかもしれない――。泣きながらそう話す彼女に、ジョージが言葉を掛ける。
「さっき見てきたけど、皮下血腫なんてできてなかったよ。血栓飛ばしたかもって言うけど、レイカが穿刺したのは静脈だから、脳から心臓に帰ってくる血管だぞ。万が一血栓飛ばしても、脳梗塞になるわけないじゃん。脳梗塞の原因になるようなことはやってない。みんなの見ている前で、エコーガイド下でやったんだから間違いないよ。大丈夫、レイカは悪くないよ」
 そう言いながらジョージは肩に手を置いて励ますが、レイカは泣き続けている。僕は声を掛けることもできず、そんな2人をただ眺めることしかできなかった。


※「DDDDD〜ディーゴ〜」は毎週月曜に掲載します。