カテーテル室の中では「ニトプロ!」 「IABP!」 「胸骨圧迫開始! SpO2下がってるよ! 気管挿管の準備!」「アミオダロンはまだ!? 早く!!」と、聞きなれない専門用語が飛び交っている。医師、看護師、放射線技師が走り回る、まさに修羅場。そんな中、ジョージはその人混みの真ん中で胸骨圧迫をしていた。宮沢はというと、いつの間にか金子教授の隣の位置、つまりさっきまで助手の佐藤先生がいたポジションでカテーテル手技に加わっている。
 僕とレイカは操作室で立ち尽くしていた。周りを見渡すと病院内にいた循環器の医師達が続々と集まって来ている。先週の金曜日と同じ光景だ。僕は現実を直視することができず、集まってきている医師達をただながめていた。目を見開いている人、ボタボタ汗を流している人、キョロキョロ目を動かし落ち着かない人、同じ医師でもこういう時の表情は様々だ。
 見渡していると、気になる行動を取る人物が2人いた。1人は、ステントが置いてある棚のほうを見ながら座り込んでいる人物。慌ただしいカテーテル室内で、反対を向いて座る姿はかえって目立つ。よく見るとさっきまで助手をしていた佐藤先生だ。気分でも悪いのか、座ったまま何をするでもなくボーっと棚を見ているようだ。
 そしてもう1人。僕のすぐ隣で、カテーテル台をただボーっと眺めている人物。准教授の岸田先生だ。循環器内科で一番技術があるにもかかわらず、救命処置やカテーテル手技に加わるでもなく、まるではるか遠くを眺めているかのように立っている。僕には、この2人の異様さが、慌ただしい背景から浮き上がるように見えた。
 10分ほど経過しただろうか。ふとカテーテル台の方に目を向けると、なんとか窮地は乗り切っていた。ステントが末梢側にズレていて、そこの血流が落ちていたのだった。内側にもう1本ステントを留置することでなんとか乗り切ったようだ。

 ジョージが涼しげな表情で帰ってきた。「ジョージ、すげえな」と僕が声を掛けると、ジョージは「別に。先週ACLSの講習を受けたばっかりだからな」とサラリと答えた。僕らと同じ研修医1年目とは思えない。
 その後は特に問題なく経過して無事終了した。患者の全身状態は落ち着いているが、一時的に心肺停止状態になったこともあり、念のため明日まではCCU管理の方針になった。


(イラスト:持田 大輔)

 その日の帰り道、病院の正面玄関を出たところで後ろから肩をポンと叩かれた。
「ディーゴ、久しぶり」 
 僕が振り向いた先には、笑みを浮かべたショートヘアの長身美女が立っていた。
「白石さん!」

 そこにいたのは看護師、白石結衣だった。学科は違うが、同じ江戸大学医学部テニス部の2 学年先輩だ。看護科は4年制なので、臨床の現場に出て4年目だ。

「ディーゴもいよいよ医師になったんだね。なんて呼べばいいのかな。出井先生?」
 先生と呼ばれるのにはまだ慣れていないため、なんだか全身がむずがゆい。並んで歩くと、ヒールを履いているからか僕より背が高い。スタイル抜群な上に露出の多い服を着ているから、目のやり場に困る。4月だというのに、メッシュの服で寒くないのだろうか。
「宮沢先輩には病院でもディーゴって言われますよ」
「あー、宮沢先輩は仕方ないね」
 白石は、ケラケラ笑っている。
「宮沢先輩がいるのは心強いね。あの人、口軽いし、チャラすぎて、人としては全く信用できないけど、医師としては優秀よ」
 そして、白石は小声で付け加える。
「ただ、今まで数々の伝説を残してきたから、看護師仲間での評価は最悪。私は好きだけどね、面白いし」
 宮沢の数々の伝説とはなんだろうか。白石も、ただ単に口を滑らせたわけではなさそうだ。
「ところで、初期研修医生活は、どう?」
「まだ右も左も分からないですよ。宮沢先輩がいないと、カテーテル中も何をやっているか分からないし。そうそう、最近カテーテル中の合併症が続いているみたいだけど、白石さん何か聞いてますか?」
 白石はうなずき、言葉を選んで話し始めた。
「常に動いている心臓を扱うし、数ミリの世界で仕事するんだから合併症が起こる確率は低くないと思う。でもね、前は重大な合併症なんて、せいぜい半年に1回くらいだったのよ。最近続きすぎだよね」
 やはり、最近の合併症は通常では考えられない頻度のようだ。白石は西洋人形のような顔の眉間に皺を寄せながら、さらに続ける。
「そして何より術者が全て、金子教授っていうのがね……。もちろん、岸田先生の方がカテーテルの腕が良いのは私たち看護師の間でも有名だけど、だからといって教授も下手なわけじゃない。合併症で一番困るのは患者さんとご家族なんだから、これ以上続かないようにしてもらいたいよね」
 合併症が起きた後の患者の体や心のケアをしている看護師だからこそ、心を痛めているに違いない。
「事故なのか事件なのか。僕も分かる範囲で調べてみます。ところで今度、宮沢先輩も入れて飲み会しませんか?」
 誘った直後にそんな空気ではないことに気付いたが、もう遅い。相変わらずのKYっぷりを発揮してしまった。にもかかわらず、白石は笑顔で了承してくれた。「このタイミングで飲み会誘う? そういうところ、昔から変わらないね。でもそれが許されるのがディーゴのキャラだろうね。いいよ。じゃ、今週末に『ディーゴ飲み』しよう」。
 ただし、最後に一言、大事なことを付け加える。
「でもね、宮沢先輩がいる飲み会には大学病院の看護師は誰も来ないと思うよ」
 いったい、どんなレジェンドになっているのか……。

※「DDDDD〜ディーゴ〜」は毎週月曜に掲載します。