※前回のお話(第2話)はバックナンバー欄からご覧ください。

 4月12日火曜日。
 朝8時に僕が病棟に到着した頃には、ジョージとレイカは既にカンファレンス室で心臓カテーテルの本を読んでいた。病棟業務を済ませ、9時に3人でカテーテル室に向かった。
 火曜と金曜は金子教授のカテーテル担当日だ。最近合併症が続いているため、緊張感が重く漂っている。今日の症例は2例の予定だったが1例に変更されたそうだ。
「俺の患者さん、37度の微熱があったからね。明日に延期にしたよ。本当は微熱程度なら予定通りやるんだけど……ね」
 宮沢が含みを持たせた言い方で教えてくれた。合併症が続いているため、大事を取って延期にしたということだろうか。
 そういえば昨日の宮沢の説明と異なり、今日は助手に初期研修医が入っていない。
「3月までは教授のカテーテルにも研修医が入っていたんだけどな」
 一呼吸おくと、宮沢が声をひそめながら言葉を続ける。
「あまりにも合併症が続くから、4月からは上の先生しか入らなくなったんだよ」

 カテーテル室の中では、大柄な若い男性医師が患者の首元で何やらゴソゴソしている。あの後ろ姿は金子Jr.だ。カテーテルは右橈骨動脈アプローチのはずなので、首にすることはないはずだ。何本か束になった管を右の首から挿入している。
「あれ、何をやっているか分かるか?」
 宮沢が突然質問してきた。さっぱり分からず振り返るとレイカと目が合う。レイカも首をひねっている。だが、ジョージには簡単な質問だったようだ。
「スワン・ガンツ(SG)カテーテルですよね。ただ、予定のPCIなのに、必要ですか? 心拍出量や右心圧が必要とは思えないのですが」
 宮沢が大きくうなずきながら解説してくれた。
「さすがだな。ジョージの言う通り、通常では予定のPCIではスワン・ガンツ(SG)カテーテルは使用しないことが多い。血行動態が破綻する可能性は低いからな。ただ、ここは大学病院。平凡先生…いや金子Jr.が中心になって臨床研究をやっているんだ。カテーテル中も10分ごとに血液を採取してヘパリンの濃度やその他各種データを時系列で追ってるんだよ」
 なるほど。医療の発展のためにはこのような研究が必要なのだろう。そして、採算度外視でそういうことが可能なのが大学病院ということだ。

 宮沢と会話をしているうちに、金子Jr.が患者の頭側から右手のところに移動していた。ぎこちない手つきながら、右の手首に局所麻酔をしてシースを右橈骨動脈に挿入した。続いて30歳代半ばくらいの医師が、心臓の血管造影検査を行う。優しくおっとりとした顔のこの医師は佐藤俊夫先生だ。
 軽やかな手さばきで検査が進む。術前の検査で分かっていたとおり、心臓の右側を走る血管である右冠動脈に狭窄部位があった。
 そこに、金子教授が清潔なガウンを着て入室。引き続き、狭窄部位にステントを入れる治療が開始される。ガイドワイヤーも特に問題なくスルスルっと病変部を通過した。
「術前の冠動脈CT検査と同じ所見ですね。まずは前拡張しましょう。用意していたバルーンを下さい」
 落ち着いた声で指示が出る。前拡張とは狭窄部位にステントを置く前にバルーンで膨らませることで、前拡張して広がったところにステントを留置するのだ。いよいよステントを病変部まで運んでいく。ここまで、特に滞りなく進んでいる。
「はい、インフレーション!」
 金子教授の大きな声が響く。
「2、4、6、8、10、12です。20秒キープします」
 助手の佐藤先生が圧を声で伝える。室内の画面に秒数のカウントが表示された。20秒たったところで、「はい、デフレーション!」と金子教授が言う。
 昨日と同じく、今回も3回繰り返した。緊張感の持続するカテーテル室内と操作室。順調に進んでいるようだ。

 と、その時。操作室から見学していた宮沢が椅子から突然立ち上がり大声で叫んだ。
「II、III、aVFのSTが上がってる!」
 その直後、台の上で寝ていた患者が呻き声を上げる。
「胸が…、胸が痛いです」
 宮沢が急いで放射線を遮断するプロテクターを着る。そして、カテーテル室に飛び込みながら、看護師に指示をした。
「完全房室ブロックになっている! 期外収縮も頻発している。除細動器を用意しておいて!」
『除細動器?!除細動器って電気ショックするってこと?』
 僕には何が起こっているのかさっぱり分からない。緊急事態であることは間違いなさそうだ。

 隣に座っていたジョージが立ち上がり、興奮した声で叫んだ。
「今治療している右冠動脈の血流が落ちているんだ。II、III、aVFのSTが上昇していて心筋梗塞と同じ心電図だろ? 完全房室ブロックになって期外収縮が頻発しているってことは、次に起こるのは……致死的不整脈、心室細動だ!」
「心室細動!?」
 ジョージは、ただオウム返しすることしかできない僕の方を見てうなずくと、宮沢と同じくプロテクターを着てカテーテル室に飛び込んで行った。