カテーテル室の入り口にあるカードリーダーに宮沢のIDカードをかざし、扉を開ける。水曜の午後はカテーテルの予定がないため、誰もいない。無人の操作室は閑散としていて、なんだか別世界だ。
「これがメインサーバーだ」
 操作室の片隅にある少し大きめのパソコンを宮沢が指さした。そういえば、いつも医師や放射線技師がここに座って電子カルテを使っている。
「よっこいしょういち」
 宮沢がパソコンの前に腰掛ける。平成生まれのはずなのに、往年のギャグをチョコチョコ挟むのは学生時代から変わらない。

(イラスト:持田 大輔)

 スイッチを入れるとすぐにパソコンが起動した。さっき動画を見ていた患者のIDを入力し、録画一覧を表示する。しかし、動画は見当たらない。
「やっぱりないか…」
 ジョージは一瞬肩を落としたが、次の瞬間思い出したように「MFT修復は?」と僕の方を見ながらパソコンを指差した。MFTとは、マスターファイルテーブルの略で、ファイルシステム上に存在するすべてを管理するファイルのことである。
「確かにMFTを確認すれば何か分かるかもしれない! 宮沢先輩、席変わって下さい!」
 動画を完全に消したとしても、MFTに消した痕跡くらいは残っているかもしれない。パソコンの裏に進入する。さすがに病院のパソコンなので、通常と異なりなかなかセキュリティーが厳重だ。国家試験の勉強をはじめてからパソコンとは少し距離をおいていたので、少し勘が鈍っている。
 10分ほど格闘し、僕はついに突き止めた。
「消してます。いったん保存された動画が後日消されているのは間違いないです。ただ、残念ながら動画を完全に復元することはできません」

 と、その時「デデーン♪」という電子音が響いた。宮沢が、モゾモゾとポケットからPHSを取り出す。どうやら、この男の着信音は大晦日の某笑ってはいけない特番の効果音のようだ。真剣な話をしていても、こんな着信音が流れたら、笑ってしまう。
「はい、宮沢です。あ、はい。分かりました。カンファレンス室に向かいます」
 宮沢は、電話を切ると「今から臨時ミーティングがあるらしい。最近噂になっている医療事故対策委員会かな?」と言いながら、カテーテル室の出入り口の方に早足で歩いて行く。合併症が続いているため、原因究明のための話し合いをするのだろう。

 動画が消されていることは分かったが、いったい誰が何のために消したのだろうか。また1つ、謎が増えてしまった。


 その日の夕方、臨時緊急カンファレンスが開かれた。最初に金子教授がミーティングの主旨について説明する。
「みなさん、こんばんは。臨時ミーティングのために集まって頂き、ありがとうございます。今日のミーティングは、安全性向上のための話し合いです」
 ここで1度、全体を見渡す。参加している医師は皆、下を向いている。
「もう一度言います。安全性向上のための話し合いです。どこからか“医療事故対策委員会”なんて物騒な言葉が聞こえましたが、今後はそのような軽率な発言は控えるようにお願いします。事故ではなく“起こり得る合併症”です。これは歴史ある江戸大学病院循環器内科の信用にも関わりますので、くれぐれも注意するようにお願いします」
 その時、ジョージがイスをガタンと鳴らしながら立ち上がった。
「実は、何者かがステントを置いた瞬間のカテーテルの記録動画を消していることが分かりました。単なる合併症ではないかもしれない。もっとしっかり原因を調べるべきではないですか?」
 緊張のためか、怒りによるものか。彫りの深い眉間には、はっきりと皺が刻まれている。初期研修医の突然の発言で、一瞬にしてカンファレンス室が凍りつく。部屋の反対側に座る人の呼吸音まで聞こえそうな静寂が続いた。

 沈黙を破ったのは甲高い声だった。
「ミーティング中です! 口を慎みなさい!」
 岸田先生だ。カンファレンス中に発言したのは初めてかもしれない。一言で場の空気が一転した。
 ジョージはまだ不服そうだったが、流石に全体の雰囲気に屈して着席した。何事もなかったように近藤先生が司会進行を始めた。
「皆さんもご存知とは思いますが、一般的にPCI施行から30日以内に重大な合併症が起こるのは患者の2〜3%とされています。当院では過去10年間、合併症の発生率は1.5%と、安全性の高い治療を提供できていました。しかし先月から、合併症と考えられる事例が5例続きました。適切な対応のおかげで幸い死亡症例はありません。今日は改めてカテーテルの手技について確認し、安全性の高い治療を提供できるように勉強しましょう」

 その後は、全員にカテーテル手技の手順のプリントを配り、確認を行った。隣にいるジョージは終始イライラした様子で右足が小刻みに上下している。
「これって対応してますってアピールのための、単なるパフォーマンスだよな。要するに、これ以上問題を大きくするなってことだな」
 僕は、その言葉にハッとさせられた。確かに起こり得る合併症であれば、このような仰々しいミーティングをする必要はないだろう。やはり通常では考えられないことが起こっているのだ。
 あのような場で「事故ではなく起こり得る合併症」と断言されると、それ以上は何も言えないし、原因調査もできなくなる。いわゆる口止め工作とも言えるのではないだろうか。
「こういう隠蔽体質だから、医療ミスや医療事故が続いたりするんだろうな。そして多くの被害者が出てから、マスコミがやっと騒ぎだすんだ」
 ジョージの言葉に、僕はただうなずくことしかできなかった。

 この臨時緊急カンファレンスでは、一般的な安全なカテーテル手技について全員で確認した後、ある告知もされた。1週間後の4月22日に行われる『5病院合同心臓カテーテルライブ』についてだった。カテーテルのスキルアップのために江戸大学系列5病院で同時ビデオ中継される年に1度の大イベントだ。昨年は岸田先生が担当したが、今年は冠動脈の高度石灰化を伴う多枝病変の症例が選択されていて、術者は以前から金子教授に決まっていたようだ。
 最近合併症が続いていることもあり、術者を変更することも検討されたが、「金子教授の外来患者様ですし、信頼関係もありますので予定通り教授にPCIしていただきましょう」という岸田先生の鶴の一声で、予定通り行われることになっているのだった。果たして、無事このイベントを終えることはできるのだろうか…。

※「DDDDD〜ディーゴ〜」は毎週月曜に掲載します。