(イラスト:持田 大輔)

「これがなんだか分かりますか? ステントです。知っているとは思いますが、心筋梗塞や狭心症の時に心臓の血管を広げる金網みたいな医療機器ですね。初期のものから最新のものまで、ひと通り揃っていますよ。中のバルーンの不具合があったり、ステントが潰れていたりするジャンク品を、業者から特別に譲ってもらっているんです」
 1つの箱を取り出し愛おしそうに眺めた岸田先生は、ジョージのほうに目を向けて、「寺西君、何か欲しいステントはありますか?」と言った。自己紹介前に時間がないと言っていたのが嘘のように饒舌だ。『うわぁ、ステントオタクか…』と僕が思っている横で、ジョージは「素晴らしいコレクションですね。でも、今は結構です。3年目に循環器内科に入局する際には、ぜひお願いします」とそつなく答える。
「そうですか。それでは2年後、楽しみにしていますよ」
 岸田先生は、そう言うとまた軽やかなステップでソファまで戻り、引き続き説明を始めた。

「来週からの予定について説明します。担当患者さんは後期研修医の宮沢先生に割り振ってもらってください。月曜と木曜は、朝7時からカンファレンスがあるので、遅れないようにしてください。何か質問ありますか?」
 柔らかな口調だが、有無を言わせない圧倒的な威圧感がある。僕たちは全員「いえ、ありません」と首を振った。
「あ、そうそう」
 ふと思い出したように、岸田先生はテーブルの上のリモコンを取り、テレビのスイッチを入れた。そこに映しだされたのはカテーテル室の光景。まだバタバタしている。メンバーを見る限り先程のカテーテル室と同じ。どうやらここからもリアルタイムの映像を見ることができるようだ。
「うーん、大変そうですねー」
 岸田先生は、そう言いながら、じっと眺めている。同じ診療科内の出来事なのに、なんだか完全に他人事のようだ。医師を長くやっていると患者さんの容態が急変しても動じなくなると聞いたことがあるが、やはり循環器内科の准教授ともなると良くも悪くも「慣れ」てしまうのだろうか。
「まあ、今日は金子教授が術者ですからなんとかなるでしょう。はい、それでは来週から研修がんばってくださいね」
 そう言いながら、岸田先生はまた奥の仕事用の机に戻っていった。


 その日の帰り道、僕は1つ気になったことを聞いてみた。
「そういえばいつからジョージは循環器内科志望になったの? 入局するの?」
 するとジョージは、にやりとしながら
「初期研修医なんてそれぞれの科をまわっている時には、その科を志望ってことにしていた方が良いんだよ。その方が飲み会とか連れて行ってもらえるし、手技もたくさん経験できるだろ」
と悪びれる様子もなく言った。こいつの世渡りスキルを少しは見習わなければ。

 ジョージの世渡りスキルといえば、初めて会ったときのことを思い出す。6年前の冬、江戸大学病院入学試験の面接会場だった。同じグループだった僕とジョージが並んで面接を受けていたのだが、最後に面接官がこんな質問をしてきた。
「今までで一番印象に残っている食べ物は何ですか? そしてその食べ物は、今の自分に何か影響を与えていますか?」
 何かの心理テストだろうか。どの面接対策の本にも書いてなかった質問だ。想定外の質問に僕は何を答えて良いか分からず、
「えーと、小学校の運動会の時にお母さんが作ってくれたおにぎりです。僕が好きだった鮭のおにぎりです」と、とっさに答えた。そこまで言葉にした後で、質問の最後の一文を思い出し、冷や汗を垂らしながら付け足した。
「そして今でも一番好きな具は鮭です」
 一方のジョージは、
「私は幼少期に米国に住んでいました。ボランティア活動でスラム街に行った時にそこに住んでいる黒人の子どもたちと一緒に食パンを食べました。普段十分な食事が取れていないらしく、とてもおいしそうに食べているのが印象的でした。そしてその時、スラムの子どもたちは食事だけでなく十分な医療を受けることもできていないということを知りました。その経験が医療の道を志すきっかけになりました」とよどみなく答え、面接官を感心させていた。

 結果的に2人とも合格したわけだが、数年後にジョージの口から衝撃の事実を聞かされることになる。
「スラムにボランティアに行ってパンを食べたのは事実だよ。でも母親から聞いただけで、よく覚えていないんだ。だって4歳の時だぜ? でも面接の時は、面接官の印象に残るような回答をしないといけないからね」
 来週からいよいよこの3人で初期研修医生活がスタートする。僕らの初期研修医生活が波乱に満ちた2年間になるとは、この時は想像もしていなかった。


※「DDDDD〜ディーゴ〜」は毎週月曜に掲載します。


1)冠動脈内の造影剤が遅延すること
2)Thrombolysis in Myocardial Infarction Trial(冠動脈の血流の程度の分類);Grade 1は明らかな造影遅延があり、末梢まで造影されない
3)血管内超音波;血管内部の断層画像を見ることができる
4)大動脈バルーンパンピング;心臓の働きを助ける補助循環装置
5) Percutaneous Coronary Intervention(経皮的冠動脈形成術)
6)心筋梗塞や狭心症で冠動脈の狭窄部を広げる金網
7)遠位部塞栓;カテーテル治療時の合併症
8)一酸化窒素(NO)などの血管作動物質の産生が減り、 血圧上昇・炎症・血栓形成の原因になる
9) Percutaneous Coronary Intervention(経皮的冠動脈形成術)
10) Radiofrequency Catheter Ablation(カテーテルアブレーション;不整脈の治療) 
11) Intensive Care Unit(集中治療室)
12) Coronary Care Unit(心臓疾患の集中治療室)