私が経験したこんなアルバイト

Episode 1
当直明けの競輪場は昼寝の時間だった
山田朋子氏(匿名)
内科、40歳代
 私にとって、競輪場は「当直明けに寝に行く場所」でした。大学医局入局後、すぐに派遣されたのは3次救急を担う市立病院。当然ながら忙しく、当直時には眠る余裕もありませんでした。そして当直明けの研修医は、市が運営する競輪場の医務室にそのまま“出勤”。医務室奥にあった、医師向けベッドで休みを取っていたのです。
 競輪の選手は体を鍛えていますし、落車もそうあることではないですから、医務室で仕事があるのは健診のときくらい。車券を買いにきたお客さんを診察した記憶もありません。鍛えあげられた競輪選手の肉体美は今でも鮮明に記憶に残っています(笑)。競輪選手と仲良くなり、一緒に遊びに行っていた同期もいたようです。
Episode 2
バンド経験者として志願した“フジロック”バイト
鈴木進一
Shinichi Suzuki
鈴木医院院長●1998年聖マリアンナ医大卒。同大第一内科に入局後、横浜旭中央総合病院(横浜市旭区)などを経て現職。
 バンドを組んでいた私にとって、コンサートの医務室のバイトは特別なものでした。医師紹介会社には、コンサートの医務スタッフのバイトの求人があるときは声をかけてもらうようお願いしていたので、アイドルのコンサートも含めていろいろ行きました。
 中でも4年間、医務スタッフとして働いたフジロックフェスティバルは印象的でしたね。通常、医務室に音は聞こえないのですが、“フジロック”は医師が控えるテントからも舞台が見えました。バイトに来る医師たちも音楽好きばかりで、修学旅行みたいでしたね。
 ただ、舞台からダイブしてけがしたり、飲酒してケンカした患者など外傷例が多く、仕事は必ずしも楽ではありませんでしたが(笑)。
まだまだある 珍しいアルバイト
●ホテルのスキー場診療所。給料は安かったが、スキーし放題リフト代無料、ホテルでの食事も無料、ホテル宿泊も優待料金だった。(40歳代、麻酔科)
●高校のヨーロッパ修学旅行の添乗。副担任がダウンしてしまい(恐らくノロウィルス感染)、成田まで飛行機に乗せられるかどうか、ぎりぎりまで迷って大変だった。(40歳代、整形外科)
●離島での健診業務。会議室の机を内視鏡の処置台にするなどの苦労はあったが、勉強になった。(30歳代、内科)
●3日間だけではあったが、船医として俗世間から離れた暮らしができた。(40代、外科)
●温泉旅館の従業員健診で、健診後に豪華な食事をいただいた。(30代、基礎)
調査概要
日経メディカルオンラインの医師会員を対象にWebアンケートを実施。期間は2012年1月31日〜2月14日。有効回答は1021人。性別●男性904人/女性105人年齢●20歳代55人/30歳代269人/40歳代365人/50歳代170人/60歳以上58人 勤務形態●勤務医840人/開業医130人/その他(研究施設、行政機関、企業など)51人

編集部から:
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