高岡沙知 さん
Sachi Takaoka
福島県立医大2年生
千葉県出身
(Photo:Katsuya Abe)

大谷 大学の中では、学生の健康を考えて、15日の朝には、(県外の実家などに)帰れる人は帰そうということになりました。相双地区からの搬送が終わった段階で、解散宣言を出したわけです。原発事故の収束のめどが立たず、被曝の問題がどうなるかも分からなかったので。

 だから、学生のボランティア活動としては1回打ち切ることとし、そのときに宮澤さんや垣野内君は帰りました。


垣野内 新幹線も鉄道も復旧していなかったので、県外の人はみなでまとまって帰ることにしました。僕はいったん神奈川の実家に帰り、連休明けの5月9日に授業が再開されることもあって、4月末に福島に戻ってきました。

宮澤 私は実家が盛岡なのですが、高速道路も通行止めになっていて、仙台を通って北へ向かうのは難しいかなと思いました。そこで、南に向かう人たちに便乗して、東京の親戚の家に向かいました。

福島を離れて、激しい葛藤
宮澤 ただ、原発事故の状況がどんどん悪化していく中で福島を出ることに、すごく罪悪感も覚えて…。知り合いの看護師の方々など職員はみんな頑張っているのに、自分は逃げてしまうんだと思って、猛烈な葛藤がありました。

―あの状況で福島から避難することを責められる人はいないと思います。

宮澤 関東にいてもできることはないかと考えて、募金活動を始めました。高校の同級生が、日本医大と岩手医大で募金を始めていたので、それにならって、福島医大の私たちも始めようと。

 私みたいに葛藤を感じて何かできないかという人たちは結構いたので、募金ならばできそうかなと思いました。みんなにメーリングリストで声を掛けたら、街頭募金の手伝いにかなり集まってくれました。

高岡 私は千葉の市原の実家に戻っていたのですが、宮澤さんと同じで、やっぱり福島には友達や先輩が残っていて、みんな苦しい生活の中、ボランティアとかいろいろ頑張っているのに、自分だけが離れてしまったという思いを持っていました。関東でも計画停電は行われていましたが、それでも被災地に比べれば、かなり普通の生活ができていたので、福島を出たことに罪悪感を抱いていたんです。

 日が経つごとに普通の生活に慣れていって、自分も福島で大地震を経験したはずなのに、その記憶がどんどん薄れていくことが、すごくつらいというか、怖くなって。「何かしなきゃ、何かしなきゃ」と焦っていたときに、宮澤さんから募金の誘いが来て、やってみようと思い、参加させてもらいました。

宮澤 はじめは私が入っているメーリングリストのメンバーで情報共有して活動していたのですが、そのうちに盛岡に帰らなければならなくなって。母の実家が岩手の沿岸部だったこともあり、とにかく顔を見せに行く必要がありました。そこで高岡さんにマニュアルとか全てを託して、いったん関東を離れたんです。