宮澤晴奈 さん
Haruna Miyazawa
福島県立医大6年生
岩手県出身
(Photo:Katsuya Abe)

垣野内 僕は最初、DMAT(災害派遣医療チーム)の先生方の道案内をやりました。DMATの休憩室が本部とは別の棟(看護学部棟)にあり、ちょっと分かりづらかったので、その間の誘導などもしました。

 地震の影響で大学中が断水になってしまい、まずトイレの水ぐらいは節水できるだろうということで、「小用では水を流さないでください」とか、「動ける人は水をあまり使わない外の簡易トイレを使ってください」といった張り紙もして回りました。

高木 最初の方は、さっき宮澤さんが言ったような仕事が中心だったんですけど、途中からは入院患者さんや地震後に搬送されてきた方に対し、お見舞いに来られた家族の方の荷物を届けたりしました。病棟の方に家族は入れられない状況でしたので。

原発の避難勧告から一気に緊迫
―そして、福島第一原発周辺の相双地区から患者さんが運ばれてきたんですね。

同大医療人育成・支援センターの大谷晃司氏 20km圏内の避難勧告が出てからだよね、忙しくなったのは。3月14日になって、自衛隊のヘリやバスで相双地区の方から患者さんの搬送が始まって。

高木玄教 さん
Hironori Takagi
福島県立医大6年生
福島県出身
(Photo:Katsuya Abe)

垣野内 最初は、朝一の段階で相馬の方から40人来るだろうと言われていたんですけど、昼になり、夕方になり、夜になっても運ばれてこなくて。ヘリから病院までの移動をサポートするために、学生たちはずっと身構えて待っていたんですけど、だんだん気持ちが切れてきて…。自衛隊のミッションは一旦中止になったと聞いて、学生は電話番を残して寝ながら待機していました。そしたら、「ヘリコプターが到着します」という話になって、朝4時ごろに「起きて、起きて」と言われて、すぐに飛び起きました。緊張が一番緩んでいたときだったので、みんな大慌てで対応しました。

大谷 ヘリから患者さんを降ろすときに15〜16人で、病院に控えてもらっていたのがもう1チーム。事務の職員にも集まってもらって、すごい人数でした。みんなが自分の判断で動いたけれど、すごくまとまりがよかった。明確な目標が決まっていたので。

垣野内 あの緊迫した状況での搬送作業を手伝えて、本当に役に立てたという思いでした。

―原発周辺の患者さんの搬送やトリアージを経験して、いかがでしたか。通常と違い、医療者側の被曝や2次汚染という恐れもありましたが。

垣野内 そうですね…。病院に運んで、後は院内に控えている先生方がいろいろと状態を診るという感じでした。確か最初のときは、被曝や汚染に関する情報が全くなくて。向こうの病院から搬送するときに事前にスクリーニング検査をやっているのかいないのかについても、情報の混乱がありました。不安もありましたけど、先生の「大丈夫だから」という言葉を信じました。

 先生方は事前に2次被爆とか、一通りのことを説明もしてくださったんです。「放射性物質については、こういう検査をしてこういうチェックをしているからまず大丈夫だと思う」と。その検査を受けた後の患者さんと接しても、そのことが重度の問題になることはまずないという説明をちゃんと受けた上で、「やります」と志願した人が搬送を担当したんです。