大震災後の福島第一原発事故により、非常事態体制となった福島県立医科大学。原発周辺からヘリで搬送されてくる患者の院内への移送など、医学生も奮闘した。福島を離れた学生も街頭で募金活動を行い、福島の窮状を訴えた。福島で経験した大震災を4人の医学生に聞いた。

(聞き手:石垣恒一、構成:高島三幸)

―3月11日の大地震発生時、何をされていましたか。

垣野内 実習の最中で病棟にいました。8階だったのでガラガラと揺れはしたんですが、実習室の物はほとんど倒れませんでした。先生たちの部屋の本棚が崩れたぐらいで、病室の方でもあまり大きな物が落ちたり、激しく倒れたりということはなかったので、ここまで大変なことになっているとは思っていなかったですね。

高木 僕も実習中でした。教授室で患者さんの症例検討会があって、地震が起きたのはその最中でした。すぐに机の下に隠れましたが、棚が倒れてくるのを押さえたりする人もいました。すぐに、担当教授や医局の先生から外に出るようにという指示がありましたので、急いでみんな出て行ったら、ほかの先生方とか学生たちもみんな一斉に出てきていて、そのまま一緒にグラウンドに避難しました。

宮澤 私は救急科の実習中で、すぐに救急科の先生が災害対策の指示を出しました。トリアージの担当、赤タグをつけた人の診察担当のほか、ベッドを看護棟から持ってくる役割などが各自に割り当てられ、学生も指示に従って動きました。

 看護師の方からも、困っている患者さんがいたら助けてあげてと言われ、エレベーターが止まっていたので、階段から患者さんを誘導したり、急患で来る人の薬を取りに行くといった病棟と薬剤部をつなぐ仕事もしました。

高岡 私は(1年生で)春休みに入っていたので、あの日は大学ではなくバイト先にいました。地震直後は取りあえず自宅待機という感じでした。

垣野内 景 さん
Kei Kakinouchi
福島県立医大6年生
神奈川県出身
(Photo:Katsuya Abe)

垣野内 いったん着替えに帰った後に友達から連絡があって、学生で病院内のボランティアをやるからとりまとめをやってほしいと言われたんです。その日は(普段からお世話になっている)研究室の片づけをしに戻ろうと思っていたので、そのままボランティアとして病院に残りました。病院の食堂をボランティア待機所にしてもらいました。

高木 家に帰られる人の中にはすぐ帰った人もいるんですけど、国道4号線で崖崩れ、土砂崩れがあって帰れない学生もたくさんいました。僕は実家がいわき市の南のほうでしばらく連絡がとれなかったのですが、2〜3日ぐらいでやっと連絡がついて。実家は大丈夫だと分かったので、大学に残ることにしました。

 すると、先生方は病院の患者さんの搬送とか、荷物運びとか、学生にしてほしい仕事を持ってきてくださり、やりがいがありました。ボランティアには食料も用意されていたので、その点の安心感もありましたね。