新井川弘道氏
Hiromichi Niikawa
青森県立中央病院呼吸器科●2000年高知医大卒。仙台厚生病院外科、東北厚生年金病院外科を経て、04年東北大学大学院医学系研究科入学。08年同卒業後、岩手県立中央病院呼吸器外科。11年4月より現職。

 災害医療については素人の私ですが、津波によって壊滅的被害を受けた岩手県陸前高田市へ、2回支援に入りました。目的は、岩手県立高田病院院長の石木幹彦先生にとにかく休んでもらうことでした。

もう限界を超えている
 地震が発生した3月、私は盛岡市の岩手県立中央病院呼吸器外科で勤務していました。被災地からの情報が伝わって来ない中、発生から6日後、マンパワーや物資などの医療ニーズを把握するため、県内沿岸の各地にスタッフを派遣することになり、私は陸前高田市に赴きました。

 同市の中核医療機関である高田病院は最上階の4階まで津波に飲み込まれ、屋上に逃れたスタッフは患者や近隣住民100人以上とともに、そのまま屋上で夜を明かすという壊滅的な被害を受けています。

 私が訪ねたとき、高田病院のスタッフは米崎という地域の小さな避難所にいて、一角で細々と診療を始めようとしているところでした。

 東北大在籍時に高田病院には月1回行っていたので、なじみの方は多いのですが、みな疲労困憊の状態でした。「もう限界を超えている」。中央病院に戻り、現地のスタッフの負担を減らすために継続的な派遣が必要だと訴えました。

市の職員を強引に健診
 特に消耗が激しいと感じたのは院長の石木先生です。奥様は行方不明の上、複数のスタッフを一度に亡くすという大きなショック。加えて、避難所での寝食という状況で、支援チームの調整や診療体制の検討も行っていました。

 そこで私は陸前高田市に再度、今度は2週間赴くことを志願しました。目的は石木先生の業務の代行です。当初、最初の1週間は休んでもらい、残り1週間は石木先生を補佐しつつ診療を行うつもりでした。ところが、ちょうど1週間経ったところで奥様のご遺体が見つかり、弔いのため、引き続き休んでもらいました。

 薬剤など支援物資の配分、医療支援の申し出への対応…。私が代われる仕事は何でも引き受けました。特に気を遣ったのは、医療支援に入っているチームの士気を下げないよう、コミュニケーションを円滑にすることでした。

陸前高田市での医療支援の最終日。業務を代行した、高田病院の石木院長と。

 医療スタッフ以上に不眠不休だった市の職員の健診も、半ば強引に実施しました。仮設市役所に健診ブースを作り、支援チームの手を借りて300人以上を診察してもらいました。

 2回目の支援では診療は行っていません。と言うより、その時間がありませんでした。被災地では、診療以外の部分のサポートも非常に重要な医療支援だと実感しています。(談)