TIMEの「100人」に選ばれたのは全ての被災者
―震災で奮闘された医師はたくさんいらっしゃると思います。菅野先生はどうしてTIME誌の「100人」に選ばれたんでしょうか。
菅野 ヘリで助けられた13日のうちに、知り合いの車を借りて仙台の自宅に戻り、16日に長男が産まれました。その産院にNHKがたまたま取材に来ていて、妻がインタビューを受けたんです。

 そうしたら、「お父さんはあそこ(志津川病院)の先生なんですか!」という話になって。子どもと私が半々で紹介されるというニュースになりました。

 NHKオンラインで外国にも配信されたようで、それがTIMEの記者の目にも触れたのでしょう。南三陸町に戻って医療統括本部で働いているときに取材を受けたんです。震災を特集する号の取材と言ってたけど、載らなかったからボツになったのかと思っていたら、4月後半に突然、「『100人』に選ばれました」とメールが。本当に驚きました。そもそも取材が私個人ではなく、南三陸町全体を対象にしたものだと思っていましたから。

 津波に襲われた病院で命を拾い、直後に新しい命を授かったというストーリーが欧米の人に注目されたのかなと思います。

―菅野先生だけが“influential”なのではなく、3.11以降、奮闘を続けているたくさんの“influential”な方々の象徴という意味合いなんでしょうね。
菅野 (一緒に「100人」に選ばれた)南相馬市の桜井勝延市長が「選ばれるべきは市民」と言われました。私はそこまでの名文句は思いつかなかったんですが、本当に気持ちは一緒です。

全国からの支援に感謝! そして、同じ釜の飯を食った仲間たちに…
―「100人」としてニューヨークに招かれた際のスピーチでは、多くの支援チームへの感謝を示されていました。
菅野 すべての医療機関は流され、唯一の入院施設である志津川病院も全壊し、南三陸町の医療は津波によって壊滅しました。そんなところに、日本中、世界中から医療支援チームが駆けつけてくれました。心から感謝しています。

 私の母校である自治医科大学からも多くの同窓生が継続的な支援を行ってくれました。行政との折衝に慣れている先生に医療統括本部の業務を分担してもらって、すごく助りましたし、精神的にも大きな支えになりました。

―支援は学生時代の同期や仲間からも?
菅野 同期のメーリングリストでは私の状況が直後から大きく話題になったようで、実際に支援に来てくれた同期も南三陸町の苦境を発信してくれました。医療支援について、人手が足りなさそうな期間があっても仲間が次々と手を上げてくれて、支援医師の予定表は数カ月先まで、あっという間に埋まりました。

 自治医大は全寮制で、同期ともなると、6年も同じ釜の飯を食った仲です。私の被災を、家族の一人が被災したという感覚で受け取ってくれたのでしょう。支援や励ましをたくさんもらい、「独りじゃないんだな」と本当に心強く感じました。