意思を表示しないまま「その日」を迎えていいの?
 2010年7月施行の「改正臓器移植法」により、本人の臓器提供意思が不明でも、家族の承諾があれば臓器提供が可能になりました。Twitterをチェックしていると、毎週のように脳死臓器提供の報道がなされていることに気づきます。施行後の約2年間に脳死による臓器提供をした人のうち、8割までが家族による承諾で実施されたそうです。

 海外では、臓器を提供したくない場合に意思を表示することになっている国もあり、そのような国では臓器提供が増加しています。日本では提供したい場合に意思を表示するルールですが、家族による判断が許されたことで、今後、臓器提供は増加していくのでしょう。

 ただ、本人の意思表示がない以上、その移植が本当に故人の意思に沿ったものなのか、ご家族が思い悩むこともあるでしょう。私が同じ立場だったら、自信を持って「Yes」と言えるか分かりません。こう考えると、臓器提供意思表示カードは、自分がどう生きたいか?(死にたいか?)の意思を関係者に表明する手段、とも言えます。

 ネットで調べたところ、欧米では2〜3割程度の意思表示率だそうです。日本の意思表示率が低いことには、日本人の宗教観も密接に関わっているのだとは思いますが、誰もが必ず死を迎えるのに、いざというときに個人の死生観が確認できなくていいのだろうか、と感じます。

 「どのように死ぬか」は個人にとって大切な問題ですし、医療者が担うべき部分も多いと思います。私自身も、「どのように死にたいか」について考え続けたいし、死を前にした患者さんがその事実を受け入れて死に対峙できるようにするために、先輩たちがどのように手助けをしているのかも、知りたいと思います。

 一般誌で特集されるようにもなり、臓器提供意思表示カードの認知度も徐々に上がってきていますが、これをもっと知られた存在にし「皆が実際に自分のこととして考える」状況になればと思います。死の現場を知る医療者ができることとして、死の現実を伝え、死について普段から考えることを促すといった働きかけがさらに必要なのではないでしょうか。(水)