ヤマモトさん(仮名) は83歳の男性。現役時代は会社の役員を歴任し、退職後も町内会の仕事に関わるなど快活に過ごしてきましたが、5年前に妻に先立たれてからはすっかり元気をなくし、家に閉じこもりがちになっていました。家族は遠方に離れて住んでおり、時々様子を見に来てくれるようですが、自分たちの生活も忙しいため最近は足が遠のいていたようです。

 あるとき、近所に住むカワサキさん(仮名)がヤマモトさんの家の前を通り過ぎると、郵便受けにたくさんの新聞がたまっていました。

 「おかしいな

 カワサキさんは玄関のチャイムを押してみましたが、誰も出てきません。「まさか、家の中で倒れているんじゃ……!」と、玄関のドアに手をかけようとしたその時、ヤマモトさんがゆっくりと出てきました。

 「なんだ、いらっしゃるじゃないですか。なかなか出てこないから心配しましたよ」

 カワサキさんが話しかけますが、ヤマモトさんは返事をしません。昔であれば、話し好きで面倒見が良かったヤマモトさん。よく見ると、服は汚れ、髪も乱れ、数日以上お風呂に入っていない様子です。近所でよく挨拶もしていた仲だったのに、誰が訪ねてきたのかも分かっていないようです。

 「やっぱりおかしい!

 カワサキさんは以前に控えていた家族の連絡先へ電話し、駆けつけた家族と一緒にヤマモトさんを急遽、病院へ連れて行くことに。そこで医師に告げられた病名は「認知症」でした。詳しくはいろいろと精密検査をしてみる必要があるものの、おそらくは数年前から徐々に進行してきたのではないかとのこと。家族は驚きました。

 だからといって、ヤマモトさんを家族宅に引き取ることも、家族が移住してくることも困難です。ヤマモトさんが家族に「大丈夫だよ。家に帰りたい」と言うので、まずは自宅に戻ることになりました。これからヤマモトさんは1人で生活していけるのでしょうか……?


 さて、こういったケースは医療者がよく遭遇するケースのひとつだと思います。仮に、精密検査で脳病変などが否定され、アルツハイマー型認知症と診断されたとして、ヤマモトさんがこの街でまた暮らしていきたいと考える時に、みなさんはどのようにすればいいと思いますか?

 「認知症に対する薬剤を処方する」
 「地域包括支援センターに相談するように促す」
 「市役所へ行って介護保険の申請をしてもらう」
 こうした対応が一般的でしょうか。

 しかし、ヤマモトさんがこの街で自分らしく過ごせるようになるには、これだけで万全といえるでしょうか。認知症があるといっても、ヤマモトさんはまだまだ自分の身の回りのことは何とかできています。介護保険の区分も、それほど高いものはつかないかもしれず、介護サービスを毎日入れることは難しいかもしれません。何より、ヤマモトさんにとって今の生活上の問題は「孤立」であって、それは投薬や介護サービスだけで十分に解決できる問題とはいえません。

 では、その「孤立」を解決する仕組みを今の医療が持っているかと言われれば、不十分と言わざるを得ません。孤立の問題を解決するためには、地域の中にどういった資源があるのかを洗い出していく必要があります。

 しかし、病院の医療者は転勤なども多く、地域の情報を十分に知らないことが多いでしょう。地域で長年診療している家庭医の先生がいれば対応可能かもしれませんが、そういった先生がどこにいるのか、という情報はどうやって得られるのかも、一般の人には分からないでしょう。たまたま運がいい人が良い「口コミ」を得ることができて、地域の資源に行きつく場合もあるかもしれません。しかし、人生の大切な局面が運頼みというのは良いシステムではないでしょう。

 こういった問題を解決し得るシステムとして、今「社会的処方」が注目されています。

 社会的処方とは、「地域とのつながり」を処方することで問題解決を図るというもの。ヤマモトさんの場合、実はよくよく話を聞いていくと園芸が趣味ということが分かりました。一方で、近所で地域美化に取り組んでいるが人手不足に悩んでいる市民団体があるという情報が得られました。それなら、その市民団体とヤマモトさんをマッチングさせたら、ヤマモトさんにとっては外出の機会が増え、孤立の問題も軽減される可能性があるし、市民団体にとっては人手不足が解消されることで、お互いにとって良いことがあるかも…?と期待できます。両者をつなぐのが、「社会的処方」というわけです。

 イギリスではこの社会的処方を一元管理している「Single Point of ContactSPOC) 」という組織があり、対象となりそうな患者さんがいた場合、医師がSPOCを紹介し、SPOCが社会的処方を行うという流れがあるそうです。私たち一般社団法人プラスケアは、この仕組みを日本でも導入していくため、「社会的処方研究所」を2018年4月に立ち上げます。

 プラスケアは、私ががんの専門医として市内の総合病院に勤務する一方、街の中で医療者と気軽につながれるカフェ「暮らしの保健室」を運営するため、2017年4月に立ち上げた法人です。この暮らしの保健室は日によって場所が変わりますが、現在は神奈川県川崎市内で運営しています。暮らしの保健室を拠点として、社会的処方研究所の取り組みに協力してくれる参加者を募り、町なかへ出てのフィールドワークや、講師の方をお呼びしての勉強会(Research)を行っていきます。また、これらの活動で得た情報や知識を基に、実際に様々な課題を解決するための「社会的処方箋」を作成するワークショップ(Factory)を企画します。

 作成された社会的処方箋は、暮らしの保健室のデータベースに保管され、市民の方々が相談に来た時に提供したり、地域の医療者から紹介や問い合わせを受けた時に利用できるようにします(Store)。1年かけて蓄積した社会的処方箋は冊子として関係各所に配布することも計画しています。

 この仕組みを使って、地域における社会的資源の情報を1カ所に集め、「暮らしの保健室にとりあえず行けば、問題解決の糸口が見つかる」ことを目指します。その上で行政や医療機関、地域包括支援センターなどともネットワークを作り、地域全体で社会的処方を運用できるようにしていくことが目標です。

 ところで、この仕組みを動かすためには、運営のための資金が必要です。暮らしの保健室を含めると年間600万円ほどの資金が必要ですが、そのうちワークショップやフィールドワーク、勉強会などに必要な資金85万円を、現在クラウドファンディングで集めています。

 社会的処方についての取り組みは、日本においてはまだ始まったばかりで、日本に合ったシステムを作ることが求められています。皆さんからのご支援が、日本の未来を作ります。ご協力のほど、よろしくお願いします!


 その後、ヤマモトさんは地域美化の市民活動に参加するようになり、外出も増えて活気が出るようになりました。市民団体の方も、ヤマモトさんの病気のことは分かっていますが、最近では少し見守りをするくらいでほとんどの仕事は若い人と変わらずにできるため、助かっているとのことです。医師からは、この調子だと、これまで使っていた薬も少し減らせそうだと言われています。

「暮らしの保健室」で話を聞くコミュニティーナース。

 医師が出す薬、介護サービスなどの制度を使っていくことはもちろん大切です。それらを補完する形で、地域の方がよりよく安心して暮らせる街を作るために、「社会的処方」という選択肢が、これから大きな役割を果たすことになると考えています。

■クラウドファンディング「あなたの活動ひとつひとつが、この町の「お薬」に:社会的処方研究所を立ち上げたい!」