皆さんは、自分が担当する患者が診察室や病院の外でどんな生活をし、どんな思いをしているか、ご存じだろうか。筆者は企業の専属産業医として、日々病院の外で患者(従業員)と向き合い、従業員が不調に陥る前から、体調を崩し、回復し、また元気に働くという一連の流れを見つめてきたと自負していた。しかし、この度、「医療・保健・職場の連携で変わる、うつ病からの社会復帰セミナー 〜患者ジャーニーマップ作成ワークショップ〜」に参加し、そんな認識を改めざるを得ない経験をしたので、ご報告したい。

 このセミナーに私が参加したきっかけは、主催者の1人である林晋吾さんからのお声かけだ。こころの病を抱える人たちが安心して生活ができる社会を実現するためにベータトリップ社を設立した林さんは以前、パニック障害とうつ病を発症し、当時勤めていた会社を退職している。発症当時を振り返ると、自立支援や傷病手当金、会社の休職制度など、知りたい情報がいろいろあったが、体調が芳しくない状態で、どこにアクセスして、誰に助けを求めていいか、全く分からなかった経験があるという。そんな経験があるからこそ、必要な人に必要な支援を届けるため、不調者を支援する人同士の連携を深めたいとのことで、今回のセミナー開催に至ったとのことだった。セミナーの参加者は、産業医や産業保健スタッフ、医療機関スタッフ、企業の人事担当者など、32人が集まった。

 セミナーの主題であるジャーニーマップは、「カスタマー」ジャーニーマップとして、主にマーケティングの一手法として確立されてきたものらしい。カスタマー(顧客)の行動を物語として可視化し、サービスの提供者がその物語を追体験することで、新たな商品のヒントを得るものだ。医療の世界でも、医療関係者が患者の行動や感情を理解し、患者にとってより有益な医療を提供するためのツールとして用いられているらしい。

 ジャーニーマップの進め方だが、まずは対象となる患者の物語を具体的に作り上げることから始まる。この患者像のことを「ペルソナ」と呼ぶ。複数の事例を基に、病気の発症前から始まり、どのように発症し、患者自身がどのように解釈してどんな行動を取るか。何をきっかけに医療機関を受診し、どのような説明を受け、どのように疾患を受け止めたのか。そして治癒に至るまで、どのような感情の動きがあったのかなどを、1つの物語にする。さらに、その患者がたどってきた物語を時系列ごとに分類し、それぞれのフェーズで、ペルソナと周囲にどのようなタッチポイント(接点)があるかを書き出していく。さらに、タッチポイントごとに、ペルソナが抱いたであろう感情を整理し、最後に、患者の感情の起伏を曲線で表現して、ジャーニーマップは完成する。このジャーニーマップを基に患者のニーズを整理し、必要な治療や支援を模索するのだ。

 ここからは、実際のセミナーの内容に沿って説明する。このセミナーの主催は、うつ病の方の職場復帰、再就職支援を行うリヴァ社と優れた顧客経験のための製品やサービスの開発支援を行うmct社だ。セミナーで使用したペルソナは、事前にリヴァの支援施設で職場復帰や再就職支援を受けた方の協力を得て作成されたものとのことだった。受講者はまずA3用紙2枚程度にまとめられたペルソナを読み込み、その理解に集中することが求められた。主人公となる患者の性別、年齢や家族構成、仕事内容が具体的に記されており、不調のきっかけとなった仕事内容の変化、医師や会社関係者とのやり取り、さらにその時の本人目線の感情などが加わり、1つの物語になっていた。初めて読んだ時は、「確かによくあるストーリーだな」という程度の印象だった。

 次に、5〜6人のグループに分かれ、物語に沿ってフェーズが分けられた模造紙に、事前に準備されていたタッチポイントが記されたカードを貼付していく作業に移った。タッチポイントを確認することで、ペルソナの理解が少しずつ深まっていく気がした。続いて、タッチポイントごとに、その時のペルソナの感情をイメージし、模造紙に書き込んでいった。タッチポイントは、その時その時に関わった人やサービスを表すが、その1つひとつのタイミングで感情を考えていくと、自分が普段関わらないようなタイミングでの感情についても考えることになる。

 例えば医師であれば、医師に相談する前がそうだ。ペルソナが具体的に記されているため、その感情をイメージすること自体は、難しくない。しかし全体を通して見ると、ペルソナの感情がそれぞれのタッチポイントで細かく揺れ動いていることを感じ、自分が想像していた患者の気持ちは、ごく一部に過ぎなかったと実感した。なんとなく思い描いていた「患者中心」の真の意味を思い知らされた気がした。

 最後に、各タッチポイントで挙げた感情を、時系列に沿った一本の曲線でつなげ、起伏を表現する作業を行った。どこが最も高く、どこを底にするかを決めて曲線をつないでいく。書き上げてみると、ペルソナの気持ちの大きな動きが明確になり、アプローチすべきポイントを絞りやすくなったと感じた。参加者の1人で同じグループになった女性(リワーク施設で心理士として勤務)は、「自分が関わる前や後にどのような経験をし、どんな感情を抱いているかをあまり考えることがなかった。ジャーニーマップを作成してみると、患者に自分が関わる前後のタッチポイントの方ともっと連携できるかもしれない」と話していた。

 作成したジャーニーマップを他のグループとも共有してみると、感情曲線の軌跡はグループごとに異なっていた。どのグループも、ペルソナとタッチポイントは主催者が用意した同じものだったが、イメージされる感情は、受け手によって大きく異なることに大いに驚いた。つまり、普段私が産業医として、目の前に座る従業員の言葉や状況から感じ取った感情は、本人はもちろんのこと、一緒に話を聞く保健師、人事担当者とも異なっている可能性に気付かされたのだった。目に見えない感情を扱う医師として、感じ取った感情を言葉や文字で可視化し、本人や一緒に働く仲間と共有することの重要さを改めて考えさせられた。

 なお、具体的な支援方法については時間がなく議論できなかったが、これは自分自身の宿題としたいと思っている。

 患者ジャーニーマップ作成ワークショップに参加して、ジャーニーマップというツール自体の有用性を実感できたとともに、改めて自分の仕事を見つめなおし、考えることができた。読者の皆さんも、治療方法や対応方法のみならず、その対象である患者について理解を深めるヒントとして、興味を持っていただければ幸いである。

■医療・保健・職場の連携で変わる、うつ病からの社会復帰 vol.4『ワールドカフェ・ダイアログ