自分のなかのジレンマ、そして変化
 気仙沼市での時間はあっという間に過ぎ去りました。被災地での活動にあたってはPCAT本部をはじめとして、多くの方々に支えていただきました。被災地の方々にむしろお世話になることもありました。自分はボランティアをしようとしているのにと恐縮してしまいましたが、そうした皆さんのご厚意に支えられて、私にできる限りの精一杯の支援活動を行うことができたと思っています。

 今回の活動を通して、数々の団体からの支援者の方々や、村岡先生のように気仙沼を守ろうと懸命に働いている方々にお会いできたのは素晴らしいことでした。

 一方で、避難生活が長引き、この先の復興プランも見えないなか、被災者の方々のストレスは限界に来ているのではないかと思う瞬間が何度もありました。笑顔で話をしていた人が、ふっと「もう、疲れたよ」と心の底から出たような重い声でつぶやくのです。東京に戻ってからも、気仙沼を含めた宮城県の広い地域を停電に追い込む大きな余震がありました。避難所で生活を送る方々の顔が目に浮かぶだけに、本当に心苦しく思います。

 新学期が始まりましたが、現在も私はPCAT本部で被災地支援のお手伝いをしています。被災地を見てきた者として、何が被災地で必要とされているかを思い出しながら、PCATの支援活動をより良いものにするべく、作業に当たっています。

 ボランティアという行為では、自分の「人のために何かしたい」という思いが強く出てしまいがちですが、それが被災地の方に本当に役立つのか、そして自分は学生の本分としてやるべきことがもっとあるのではないか、そんな自問自答を繰り返しながら今日も過ごしています。

単純に元通りの姿を目指すのは難しい
 気仙沼市のように、津波に襲われた地域は壊滅的なダメージを受けています。また原発事故が起きた福島県のように極めて難しい状況にある地域もあります。そうした被災地の復興の過程では、単純に元通りの姿を目指すのは難しく、新たな都市や町の姿をデザインしていかないといけない、というのが今最も強く感じていることです。

 私が現地にいた間も、津波の被害を受けた地域では着々とがれきが撤去され、通れる道が増えていました。市街地ではライフラインが日に日に復旧し、物流が再開しつつありました。そうした面での復興のスピードは著しく、日本の底力に本当に感心する思いでした。その一方で、医療という観点では、まだまだ大勢の在宅患者さんが放置されているといった問題があります。これは現在PCATが最も解決に精力を注いでいる問題です。

 家、職、財産などすべてを失った高齢の避難者の方々の今後をどう支えていくか、もともと医療福祉のリソースが不足していた地域でどのような復興プランを立てるかといった問題は、以前からある医師の偏在や不足の問題以上に解決が難しいと思います。従来のやり方やしがらみはこの際忘れてしまい、被災者の方々、そして日本全体にとって、現在から未来にかけて必要な医療や都市の姿を、ゼロからもう一度デザインしていくことができればと思います。

 今回の私の活動に対して、ご意見やご感想などを頂けるようでしたら幸いです。

 またPCAT学生部門PCATSの活動に興味のある学生の方がいらっしゃいましたら、学生担当窓口pcat.students@gmail.comまでお気軽にお問い合わせ下さい(スパム防止のため、@が全角になっています。お手数ですがメールを送る際は@に置き換えてください)。

 最後に、今回お世話になった方々にこの場を借りてお礼を申し上げるとともに、被災地と日本の今後の復興を祈念します。