このたびの地震により被災された皆さまに、心からお見舞い申し上げます。

 私は東京大学医学部6年の小澤廣記と申します。医学生という身分ですが、日本プライマリ・ケア連合学会の東日本大震災支援プロジェクト「PCAT」を通じ、3月29日から4月3日までの6日間、宮城県気仙沼市に派遣され、微力ながら避難所を中心に医療ボランティア活動を行いました。その経緯と現地での様子をご報告します。

海外で知った日本の大地震
 3月11日、私はハワイにいました。ハワイ大学主催の臨床推論ワークショップに参加するためでした。東日本大震災が発生したのは5日間のワークショップの4日目を終え、お世話になった先生や友人たちと遅めの夕食を共にしているときでした。ハワイには日本人が多く滞在しているためか、電話回線がダウンし、日本への電話連絡はできませんでした。日本からの津波到着を警戒するサイレンを聞きながら、ホテルへ戻りました。

 その夜から、状況は一変してしまいました。ホテルの部屋でテレビとパソコンにかじりつき、CNNで放映される震災、そして原発のニュースをチェックする日々が続きました。外国のメディアを通じて見た地震と津波の映像は、趣味の悪い災害パニック映画のようで、フィクションとしか思えませんでした。多くの方々が言われていることですが、海外メディアでは日本のメディアに比べ、悲観的な論調が多いように思われ、不安が募りました。

 一方、被害状況が明らかになるにつれ、被災地のために何かできないかという思いが募りました。ハワイの人たちが日本人の私にかけてくれた慰めと励ましの言葉も、その思いに拍車をかけました。不安とフラストレーションが入り混じった複雑な思いを抱えながら、20日に日本へ帰国しました。
 
 帰国して一息つくと同時に、ボランティア募集を探しましたが、何も見つかりませんでした。まだ学生に出番はないのかとあきらめかけていた矢先、他大学の友人を通じて学生ボランティア募集の知らせが届きました。22日の夜のことです。日本プライマリ・ケア連合学会の東日本大震災支援プロジェクト「PCAT」が事務作業の手伝いを募集していたのです。自分に何かできるならばと、飛びつくように参加を申し込み、その翌日から東京・御茶ノ水にある日本プライマリ・ケア連合学会本部でPCATの事務作業に従事することになりました。

被災地への物流確保の難しさ
 翌23日、PCAT本部の事務局に出向くと、膨大な仕事が待っていました。PCAT自体が発足して間もないので、そのお手伝いをするためのPCAT学生部門「PCATS」も名前があるというだけの状態で、その日が実質的な活動開始でした。マニュアルや取り決めなどもないなか、仕事は山のようにやってくるという状況で、とにかく動きながら体制を考えるという数日間でした。

 その間私がかかわった仕事は、救援物資の管理や、医師を被災地へ派遣するための準備作業で、普段縁のないものばかりでした。平時であれば、人間が数人東北へ行くのに大した準備は要らないでしょう。しかしこの災害時に、医療者のグループを被災地へ派遣し、医療行為をしてもらう、ということがいかに大変か思い知りました。

 移動一つをとってみても、当時唯一の交通手段だった車の確保、その車を緊急車両扱いにしてもらうための申請、現地での給油の可能性についての情報収集、ドライバーの確保というように、実に様々な問題が生じます。こうした物流を最適化するための「ロジスティクス」という概念を知ったのも、今回の活動を通してです。