夜の粉雪は、鮮やかに光る無数のランタンの前で、舞っている。
 ランタンとは、中国の旧正月、春節を祝う提灯。龍や虎や英傑たちの極彩色のオブジェとともに、長崎の冬の夜空に幻想的に広がっている。
「すごい…」
 隣を歩く男の声さえ聞きとれない喧噪。湊公園から新地中華街は、人、人、人。
 マフラーをぐるぐる巻きにした女が小籠包を割り、中から湧き上がる湯気に歓声をあげる。ダウンジャケットの男は大砲のようなカメラを振り回し、シャッター音をかき鳴らす。金髪の白人の一団は興奮して白い息を吐いている。押しつぶされないように小さな女の子を抱き上げる父親は鬼の形相となって叫ぶ。人の列は、なんとかゆっくりと流れてはいるのだが、身動きが取れない。その隙間に、中華まんじゅうの暖かい香りや焼き菓子の香ばしさを乗せた風が入り込む。英語にハングルに広東語も風に乗って、怪しいカオスを作り上げてている。

「すごい人ですね。なんか、日本じゃないみたいですね」
 東京から長崎に初めて来たというF先生はもみくちゃにされ、落ちそうになる眼鏡を何度も上げる。
「毎年、100万人近くが来てくれるらしいんですが…」
 僕は『長崎ランタンフェスティバル』について説明しようとしたが、この人混みでは、まともに声が届かない。
 毎年、1月末から2月の中旬に行われるイベントで、およそ15,000個にも及ぶ黄色や赤の小さなランタンや、大きな光のオブジェが街のあちこちに飾られる。龍踊り、中国雑技、二胡演奏などのパフォーマンスも繰り広げられる。昔は、中華街の小さな祭りだったが、観光客の少ないこの時期のイベントとして、市がテコ入れし、今や冬の一大イベントとなった。
 気づけば、今日が最終日。どうりでこの賑わいだ。

「ライト先生は、毎年来るんですか?」
「いや、意外と、地元の人間は行かないんですよ。人が多すぎて…」
 箪笥の奥から引っ張り出してきた毛糸の帽子を耳まで下ろす。今日は、日本中が寒波に覆われたようで、長崎もめずらしく粉雪が舞っていた。僕が数年ぶりにフェスティバル会場に来たのは、医学教育に精通し、地方の現状を視察に来たF先生と食事をするためだ。中華料理でもと思って出て来たのだが、この寒空で行列に並ぶ体力も気力もない。
「思案橋の方に行きましょうか?」
「いいですね〜、まだ9時前ですけど、ハハハー」
 F先生もこのコラムを読んでくれているようだ。

 フルマッチの影響だろうか(小説『フルマッチ』ではなく、初期研修のリアルなフルマッチ )。昨年から年明けにかけて、いろんなところから研修医教育関連の視察に長崎に来て頂いている。中央のお役人も何人か来たし、県を代表して来たところもあったし、大学や病院単位もあった。有難く思う。しかし、来て頂いても、研修医室とシミュレーションセンターを見せて、ユーチューブを見せて、いろいろ説明や質問を受けても、2時間もかからない。話はすぐに尽きてしまう。
 こう言っては何だが、国の法律に基づいて行われる初期研修システムなので、長崎が特別変わったことをやっているわけではない。法律だから、日本中、そんなに変わりがない。基本的には同じなのだ。だから、期待してわざわざ来る人たちには、申し訳ないという気持ちもある。がっくりして帰る人もいる。F先生も、若干そんな様子だ。
「研修のゴールは何ですか?」「研修を2年終えたアウトカムは?」「求められるコンピテンシーとは?」。次々に発せられる質問に、僕は頭をかきながら、
「いや〜、あんまり考えたことないですね。国の示すプログラム通り、実直に、淡々とやっているだけで……」
 しどろもどろに返事をする僕とF先生の教育をめぐるやり取りは、全くかみ合ってなかった。
「わざわざ来て頂いて恐縮です。参考にならず……」
 罪滅ぼしに、思案橋に誘ったという次第だ。

 ごった返す中華街をなんとか抜ける。
 人に酔った僕たちは、川面に映る光の揺れに誘われるように、銅座中心部へ向かう石畳の道へふらふらと入った。どの店も混雑している。行きつけの『とり福』と『宝雲亭』の看板の前には、ガイドブックを持った一団の列ができている。
 今日は、無理だなあ〜。僕は、銅座の十字路に立って、あたりを見回す。F先生は、コートの襟を立てて、きょろきょろ見回している。僕にとって見慣れた風景は、彼には異国のように映っているのかもしれない。ネオンとランタンの光が交錯する。