「すいません。迷いましたよ」
 遅れて入って来た青年は、ビールジョッキをグイッと上げた。
 ここは、居酒屋「こいそ」。長崎の思案橋横丁から奥に入った迷路の入り口にある。知る人ぞ知る穴場的な店だが、居酒屋紀行で有名な太田和彦さんが本やテレビで取り上げたこともあり、数年前から観光客も来るようになった。場所がわかりづらいことでも有名だ。
「でも、迷路のような小道は、なんかワクワクしますね」
「そうだろう。ここいら界隈には、幕末や戦後からの路地が生き残っている」
 春雨通りから、ハモニカ横丁、思案橋横丁、柳小路通り……。昭和の香り漂う、懐かしく怪しく狭い路。くねくねと曲がり暗闇を歩くと、先が見えない不安感が一気に増してくる。それと裏腹に店のぼんやりした明かりを見ると、何かが起こる期待感を持たせてくれる。酔いに任せて発散された何世代もの喜怒哀楽が染み付いて、また新しい人を引き込む路だ。
 青年は、僕の友達のイサムの長男。某地方大医学部の6年生。飲みっぷりは父親譲りで、生はすぐに2杯目。

 カウンターには、大皿がずらりと並ぶ。フグのから揚げ、サザエのつぼ焼き、焼きアナゴ、クジラの骨蒸し、アナゴ白焼きなどの海の幸。その間に、肉じゃが、ポテトサラダ、鳥から揚げなどの定番メニューも美味しそうに存在感を出している。
 今日も満席だ。僕はカウンターの隅でJr.を待ちながら、ビールをちびちびやっていた。彼が到着したので、注文を追加する。
「大将、ブリ大根と甘鯛のから揚げと、いつもの」
「はいよ! 先生に、キープの角と炭酸1本だして〜」
「は〜い!」
 大将の威勢のいい声と女将さんの可愛い声が、満席の店内にこだまする。
「ここの大将のお父さんは、僕の中学校の時の担任の先生なんだ。つまり、君の父親のイサムの担任でもあるんだ」
「へ〜、そうですか」
 イサムJr.は、あまり興味を示さない。そりゃそうだろう。父親とその友の内輪話などには興味はなかろう。僕は彼を生れた時から知っていて、家族同士で遊園地に遊びに行ったこともある。当時は「長崎のおっちゃん」と呼ばれていた記憶があるが、今は「先生」という業界用語を使う年齢となった。僕には息子はいないので、「男」になったJr.と飲むのはこの上ない喜びでもある。
 再会のきっかけは、父、イサムからの電話だった。彼は医者ではない。高校卒業後、東京の大学へ行って就職。結婚してマンション住まいをしている。1〜2年に一度は、長崎か東京で飲む。

「息子が就職で悩んでいるみたいなんだ。すまんが、一度話を聞いてやってくれ」
「了解、了解。じゃあ、『こいそ』に連れてゆくよ」

 イサムJr.は、今回の初期研修マッチングでアンマッチだったようだ。
 関東の2つの病院を受験したが、残念ながらマッチせず。「他に行きたいところが見つからず…」と言うが、2病院の名前を聞くと、「そりゃ〜、ちょっと無理だろう」というところだった。倍率が高すぎる。
 僕の主観ではあるが、アンマッチになる人にはいくつかのパターンがある。毎年、アンマッチだった6年生から問い合わせがあって、直接話しているうちに事情が見えてきた。

やっぱり型:第一志望を高いところに設定し、それ以外はその時点で考えられないので滑り止めを作らなかった。あるいは部活などで忙しく、完全に準備不足。アンマッチを薄々覚悟。
 「ま〜、しょうがないすっ!」
うっかり型:マッチングの参加登録を忘れた。あるいは期限を間違えて締め切りが終わっていた。
 「うわ〜、やっちまった〜!」
ガチ型:ガチで勝負に行ったのに、ダメだった。
 「マジで!」
スルー型:何らかの理由で、マッチング不参加。学業不振とか、体調とか、精神面とか…。
 「……」

 どうやらイサムJr.は、「やっぱり型」である。部活にバイトに試験で忙しく、完全な準備不足。とりあえず、有名病院を2つ見学し受験したという。アンマッチはそれなりのショックだったらしいが、すぐに立ち直って、今は前向きだ。いろいろ質問してくる。
「2次募集って、どこでも受けられるんですか?」
「いや、そうじゃない。空席があり募集している病院で…」
「大学病院と市中病院、どっちがいいんですかね?」
「そうだねー、どちらにも利点と欠点があるだろうねー。例えば…」
 僕はこれまで何百回と答えてきたことを繰り返す。