「思案橋に午後9時ですね、了解です!」
 フィリピンの齊藤信夫君からのメールは、速攻で帰ってきた。彼は時々、日本へ帰って来て、仕事をする。そのついでに、飲みに誘った。
 ダイアナの店は、あいにく彼女は不在だったが、混んでいた。3人入れば、満員になる立ち飲みの焼鳥屋だから、しょうがない。とりあえず、歩道にビールケースをひっくり返して座った。路面電車が石畳をゴトゴト鳴らしながら通る。出勤を急ぐハイヒールの一団もコツコツとアスファルトを鳴らして、脇を通ってゆく。それを眺めながら僕たちは「のどごし生」で乾杯する。
「『崎長ライト フィリピンを行く』シリーズは、衝撃的でしたよ」
 齊藤君は、そう言ってくれる。うれしくはあったが、「衝撃的」は、いくら何でも大げさじゃないか?

「いや、衝撃的でしたね。僕の学生時代の感覚を呼び起こしてくれたんですよ」
 発泡酒が、するすると入ってゆく。長崎の10月は、まだ暑い。長崎の最も大きなお祭り、龍が舞う「長崎くんち」も終わり、いくぶん風は涼しくなってきたが、冷えた発泡酒がうまい。いや、たぶん、教え子に褒められたからだろう。今夜の酒は格別にうまい。彼の言葉が心地よく響く。
「フィリピンの人の多さを、僕は良い側面ではあまり考えていませんでしたね。公衆衛生的な面では感染が広がりやすくなるし、ワクチンでのカバーが難しい。環境面でも渋滞やゴミなど、問題が多くなる。だから、この劣悪な環境で生きている人々を、何とかしてあげたい。そんな感じで捉えていました」
「まあ、当然だろうね」
「でも、崎長先生は『この国は膨大な数の若い人がいる。それが労働力となり、国のエネルギーやパワーとなる。劣悪な環境下でも生き抜いている。きっと、そこから未来が見えてくる。日本がなくしてしまったパワー=若者の数が、この国の一番の魅力だ』と、言っている。ある意味、僕の考え方の根底を揺さぶられたような気がしましたね」
「ふ〜ん、ちょっと大げさな気もするけどね」

 串をかじる僕に、齊藤君は熱く自分の学生時代を語った。
 初めて途上国を旅した時は、ストリートチルドレン、町のとんでもない混雑や汚さなど、すべてのことに敏感になり、いろいろ考えさせられた。しかし、それを表現することはとても難しく、時に恥ずかしいものでもあった。崎長ライトの紀行文は、それを見事に表現してくれた。単なる旅行ではなく、途上国の医療現場を素人目線で正確かつ正直に表現してくれている…。ということのようだ。
「素人ね…」
 僕は思わず苦笑い。一応、医師免許はあるのだが…。
「いやいや、そういう意味では…」
「いいんだよ。俺はホントに素人。齊藤君は10年選手になって、立派な感染症のプロだから、それと比べると」
「でも、プロになればなるほど、感覚が鈍化するんですよ。自分が学生の時に初めて途上国を訪れたときは、崎長先生と同じ気持ちを持って、同じ目線でものごとを捉えようとしてたと思うんですね。でも、途上国で長年働いると、感覚が麻痺し、深く考えなくなっているんじゃないか…。今回の紀行文を読んで、そう痛感させられました」
「なるほど」
 ネギマ、かわ、つくね、レバー…。うまい。露店スタイルの焼き鳥は、慣れてくると、病みつきになる。香ばしい煙と10月の澄んだ空気が程よく混じり合い僕らを包んでくれて、人々の喧噪と路面電車の揺れが五感を刺激し、独特のテーストとなる。月も出ている。素敵だ。小綺麗な店なんかで食べるよりこっちの方がうまい。慣れとはそんなものだろう。人は、生きてゆくために環境に順応する。スラム街で生きてゆく人たちをみて、人間はどこでも生きてゆけるのだ、と思った。不謹慎になるのかもしれないが、その光景を心から尊敬し、感動と勇気を与えてもらったような気がした。
 齊藤君は、スラム街を毎日通り、貧困層の人々の死を毎日のように目にしている。順応し鈍感にならなければ、生きていけないだろう。そんな時に、昔、教わった先生がぶらりと現れて、なにげなく発した言葉に敏感に反応したのだろう。
「まあ、時々、俺みたいな異人種と会うことが、刺激になるんだろうね」
 
 我々の業界は狭い。昔からよく、医療や研究業界に住む人たちは、「世間知らず」「変わっている」「ずれている」などと揶揄される。それは、しょうがないと思う。プロフェショナルたちは、道を極めてゆけばゆくほど、見る世界が狭まる。しかし、異文化や異人種と接する機会を大切にする包容力を持つプロは、次の極みを見ることができる。
 日本初のノーベル賞の湯川秀樹博士は、漢学を学んで育ち、それが、研究に影響を与えたという話は有名だ。老子や荘子の思想に一種の徹底した合理的なものの考え方を見出した。。スティーブジョブスの事業の成功には、禅の思想が大きく影響したともいわれている。
 凡人の我々だって、異業種の異人種たちと会うと何かの影響を受ける。業界の言葉が通用せず、苛立ったり、焦ったり、怒ったりしながらも何かを感じ、刺激され、そしてたぶん成長している。齊藤君にとっては、「崎長ライト」が異業種の異人だったのだろう。「崎長ライト」にとっても、フィリピンと齊藤君はひとつの転換点となったのかもしれない。その2カ月後、熊本に入り医療支援の紀行文を書かせてもらったのも何かのつながりのようにも思えた(関連記事:帰還したDMAT第1陣、「歓迎」に心震えた)。
 人はどんな状況でも、互いにつながり、生きていける。否、生きてゆかなければならない。フィリピンと熊本で、同じことを考えたような気がする。

 酔ってきた。3本の焼き鳥セット3皿と発泡酒の缶がガードレールの下に並んだ。
思案橋の夜は深まり、2軒目に行こうかどうか…。僕の軟化した脳は
「行こか、戻ろか、思案橋♪」
とリフレインしている。とりあえず2軒目に話を移す前に、齊藤君の仕事をちゃんと紹介しなければならない。

フィリピン保健省と共同で行った患者追跡調査

 齊藤君は、長崎大学熱帯医学研究所臨床感染症学分野・長崎大学病院感染症内科(熱研内科)教授の有吉紅也先生の門下生である。現在は、長崎大学の新研究科である熱帯医学グローバルヘルス研究科の職員として働いている。この研究科は、ロンドン大学衛生熱帯医学大学院と提携し、グローバルヘルス領域で国際的に活躍できる人材の育成を目的としている。講義はすべて英語で行われ、ロンドン大学から講師が多数来日し、ロンドン大学と同じレベルの講義が受けられることが魅力だ。熱帯医学やグローバルヘルスを学ぶためには長崎でロンドン大学と共同で行われる座学だけでなく、現地での実地研修が不可欠となる。
 そのため、新研究科の新たな臨床教育と研究の場として、サンラザロ病院内に共同研究室とオフィスを設立し、多くの学生や研究者を引き受けることが齊藤君の主な仕事である。現地で齊藤君は、現場に関わりながら精力的に臨床研究を行っている。フィリピンの保健省などとも協力して仕事を進めている。詳細は、こちらで見てほしい。