長崎の一番の歓楽街・思案橋界隈に、小さな焼鳥屋がある。
 戦後、暗渠の上に立った闇市から続く飲み屋街の一角にある一畳くらいのスペースで、マスターのダイアナが立って串を焼き、ビールを頼んだら「のどごし生」の缶が出て来る。3人座ると満席になり、4人目が来ると立ち飲みになり、5人目は歩道にビールケースをひっくり返して座り、通行人に迷惑がられる。そんな飲み屋の客は外国人が多い。船をつくるために出稼ぎに来ている人たちだ。
 今年の2月のはじめ、僕は連載小説「フルマッチ」を脱稿し、そのお祝いと称して友人Yとそこで豚バラをかじっていた。3人目の客が来た。フィリピン人の男。友人Yは、彼と旧知の仲であるかのように話し出す。Yは大学のゼミで、フィリピンの歴史や経済史を専攻した変りダネで、タガログ語を少し話せる。ジョージと呼ばれる男とダイアナとYは、タガログ語で楽しく話していた。焼き鳥の煙と抑揚の効いたタガログ語が交じり合い、聞くだけで酔いがまわって心地いい。背後に路面電車が走り、軌道の揺れが足の裏からからだ全体につたわり、さらに酔いが深まる。

「そういえば、来月フィリピンに行く」
 僕がつぶやくと、3人は「は〜?」と、映画のセリフを発するように一斉にこちらを向いた。そして、弾丸のような片言の日本語が連打された。
「フィリピンのどこ?」
「マニラ」
「何しに?」
「若い医者をフィリピンの病院で研修させるための下見」
「どこの病院?」
「サンラザロ」
「え〜、行ったことがあるよ。犬に噛まれたとき」
「ホテルどこ?」
「フィリピン大学の前」
「ペドロヒル通りね」
「俺のシスターの店の近く!ほら、ここ」
 ジョージはサムスンのスマホでに地図を出し、続いて彼のシスターという子の写真を見せた。
「?」
 カーニバルのような飾りをつけたビキニ姿。えっ、ルビー・モレノ?
 それから、3人の講師による「フィリピン学講習会」が始まり、深夜まで続いた。酒の弱い僕は、途中で潰れ、ほとんど何も覚えてなかったが、翌日の携帯メモには『ミッション・インポシブル in フィリピン』が残っていた。

(1)行く前に、「月はどっちにでている」「恋するトマト」を観る
(2)ジョージのシスターの店に行く
(3)サンボアンガに行く

到着初日から探検した夜の街。次々と「シャチョウさん」コールを受けた。

 フィリピンの初日、僕はキンバリーホテルで悩んでいた。
 (1)は行きの飛行機の中で、キンドルにダウンロードした映画を観た。ルビー・モレノがいい演技をしていた。少し涙した。そして、(2)を実行しようかどうか悩んでいた。別にミッションというほどではないだろう。ジョージも冗談で言ったはずだ。
 今、20時30分。
 ムリすることもない。明日は齊藤君が来る、大事な仕事だ。危険を犯す必要はどこにもない。僕は、シャワーを浴びようと蛇口をひねった。でも、僕は、日本人だ。約束は守る。そうさ、2週間前に天皇陛下が皇后様と歴史的なフィリピン訪問をなされたじゃないか。これからの友好関係が、大事だとおっしゃっていたじゃないか。
 ここは、行くべきだろう。行かないでどうする? 日本人でしょう。いつ行くの? 今でしょ!(古っ)
 いつのまにか勝手に日の丸を背負った僕は、パスポートと財布をセーフティーボックスに収納して、ジップロックに一万円と残りのペソを入れて綿パンの後ろのジッパー付きのポケットに入れた。小型のベープをベルトにかけて、Tシャツから露出した肌には虫除けクリームを塗り、『地球の歩き方 マニラ編』も忘れず携帯し、夜の街に出た。
 僕は、用心深いのだ。だまされない。
 Yから講習会を受けている。
「外を歩くときは、コンビニ袋に水と現地の新聞を入れて、駐在している日本人を装え」
 冷蔵庫のミネラルウオーターとロビーの新聞を袋に入れた。ジョージの妹へのお土産も忘れずに。