マニラ市内のスラム街。川沿いも橋の上も「住居」が立ち並ぶ。

「なんで?」
 N子がつぶやいた。
 誰しもそう思うだろう。なんでこんなことが起きるのか? 政治のシステムはどうなっているのか? 経済はどうなっているのか? 歴史的、文化的な背景はどうなんだ? そして、「じゃあ、自分に何ができるのか?」と志を立てる人もいるかもしれない。N子が立ちすくむ姿をみながら、僕は思った。
<研修医がここに来て、この橋に立つ意義はあるか? あるに違いない>
 僕より多感な年代なのだから、僕以上に何かを感じるに違いない。さらにもうひとつ、あらたな感情がわいてきた。言葉にすると不謹慎と思われるかもしれない。
 僕は、巨大な怪物から圧倒的な生のエネルギーを感じていた。人間は、どんな状況でも生きていくのだ。

 帰国後、気になっていろいろ調べた。フィリピン日本人商工会議所の月報(2013年1月号)が、世帯収入ごとの収入の分類と世帯数割合を発表しているようだ。原典は見つからなかったが、いろいろなブログなどで引用されているデータでは、8割近くの世帯は、月収1万〜2万ペソの貧困層(1ペソ=約2円だが、日本の物価に換算すると月収10万〜20万円)および月収1万ペソ未満の最貧層(同10万円以下)。生活レベルで見ると、圧倒的なピラミッド構造となっているようだ。

 齊藤君も橋の上に立ち、説明してくれる。
 スラム街は至るところにあるが、川沿いが多いらしい。土地の所有権が曖昧なことも影響しているようだ。しかし、これが雨季になると、全部浸かって流されたりするらしい。そのため、排泄物を経由して汚染された水や土壌から経口・経皮的に感染するレプトスピラ症などの感染症も、雨季に多発する。
「ごくごく少数の富裕層と圧倒的な貧困層で成り立っているのがフィリピンなんです。無職、無収入の人もかなりいるんじゃないですかね。だけど、民主主義なんですよ、不思議と」
 齊藤君は続ける。
「医者の給料ですか? 普通の医者の月収は4万〜5万ペソで、幹部クラスでも10万ペソくらいですかね。医者は富裕層ではなく、中間層の中から上という感じです。検査技師だと、1万〜2万ペソくらいになります。」
 質問したいことは山ほどあったが、ポールがクラクションを鳴らした。早く行かなければ、夕方の大渋滞にはまりこむ。フィリピンの貧困の象徴として世界的に有名になった、スモーキーマウンテン(現在は閉鎖されている)の前を通り過ぎる。

貧民街の約5万人をひとりでカバーするファミリードクター、ソラーノ先生(写真中央)のオフィス。スタッフはオレンジのポロシャツに身を包む。

 どこをどう走ったのか、さっぱりわからなかったが、バラック街の真ん中で車は停まった。コンクリートに薄いグリーンのペンキを塗った小さな建物の前に、小さな子どもを抱えたやせた女が座り込んでいた。まわりのハエを追い払いながら僕らの方に視線を送った。彼女の横にはテントが張られていて、オレンジ色のポロシャツを着た女性の一団が、賑やかに笑い声をたてて何やら作業をしていた。彼女たちは、僕たちにハローと微笑む。
 グリーンの建物の中に入る。コの字型のカウンターの中にもオレンジの女性たちが数人立っていて、びっしりと並べられたカーボン色のカルテに何やら書き込んでいた。患者はいなかった。クーラーの効いていない、小さな扇風機が回る狭いクリニックだ。奥から、同じオレンジのポロシャツを着た背が高くメガネをかけた茶髪の初老の男が、大きな声でにこやかに出てきた。
「ハッロ〜!」
 Dr. パンフィロ・ソラーノ。
 この超貧民街の約5万人をひとりでカバーしているファミリードクターだ。
 ハグされた後、車の中で考えた質問をしようとしたが、無駄だった。ソラーノ先生は、弾丸のように、話し続ける。日本のウイスキーがどうのこうの…、今度の選挙がどうのこうの…、もう俺は60になったからきついよでどうのこうの…、看護師はたったひとりでどうのこうの…、給与が安くてどうのこうの……。

 たぶん英語で話していたと思う。でも、僕には、さ〜っぱり理解できなかった。齊藤君はにこやかにうなずいて、時々、なにか返していた。
「さすがだな、おまえ。何言ってるか、わかるの?」
「いや、全然」
 齊藤君はにこりともせず、そう言った。それでも齊藤君は、このクリニックを教育拠点にする協力契約にこぎつけたそうだ。
「なんで、そんなことできるのよ。英語も通じないのに」
「この前、『山崎12年』贈ったんですよ、かなり喜んでくれて」
「やるな〜、おまえ」
 フィリピンでは、腹の中も日焼けするようだ。