外国人との交渉においては、準備が大事だ。
 眼鏡をかけ、ネクタイをして、七三頭で、資料を完璧に準備し、お土産を持参して、愛想笑いをするコテコテの<ザ・日本人>を演じるように僕は心がけている。こちらが向こうのイメージ通りのことをすれば相手は安心するし、向こうのメリットを明らかにすれば、英語が話せなくても、だいたいのことはうまく運ぶのだ。カナダの2年間で辛酸をなめながら、自然と身についた。
 しかし、ここら辺り、齊藤君はさらに長けている。僕のような昭和的なコテコテさはない。スマートだ。3〜4人の現地スタッフを使い、立派な研究室を立ち上げて、研究をスタートさせている。齊藤君のボスは日本に常駐しているようだが、彼が、ほとんど実質責任者として資金を動かし、人を雇い、研究室を設計して立ち上げ、世界中のいろんな人とコラボしている。

病棟の入口にはドクターの序列を示す掲示が大きく貼られている。

 僕が彼に教えたのは、ほんの数カ月で数人の患者を一緒に担当したくらいだから、教え子と言えるような関係でもないのだが、ちょっと自慢したい気持ちになった。ピペットや試験管の並び、無菌室のある研究室で、苦労話を聞いてみた。
「何が大変だった?」
「最初に、ここの病院幹部にプロジェクトを理解してもらい、協力してもらうまでが、結構大変だったですね」
 齊藤君によると、この病院は国の機関だから、トップは国の人事で来るらしい。また、医者の世界は、日本以上にヒエラルキーがあるようだ。たしかに病棟の入口にはドクターの序列を示すピラミッド形の掲示が大きく貼られている。日本ではいまどきあり得ない。
 上の方のドクターは、ネクタイをして堂々としていて、レジデントはかなり敬意を払っているのがわかった。カナダにいたときもそんな感じを受けた。結構、封建的な気がした。
「それって、何スカ?」とほぼタメ口で僕に聞いてくる日本の研修医には、この文化はきついかな〜(笑)。

 さっき、病院幹部に挨拶に行ったとき、秘書が何人いただろうか。幹部の部屋の前には、何人もの人が首に名札をぶらさげて並んでいた。ジョブ・インタビュー(求人面接)らしい。トップの方に、すべての権力が集中しているような感じを受ける。齊藤君は、そこにうまく入りこんだようだ。
「数年前、先生のところのシミュレーションセンターにおじゃましたでしょう」
「ああ〜、そういえば」
「あの時のフィリピン人が、ここの院長だったんですよ。内視鏡とか腹腔鏡のシミュレーターの体験がとても印象に残ったようです。えらく、気に入ってくれて。あれ以来、変りましたね。僕の書類に、何も言わずサインしてくれるようになりました。あの来日は大きかったですね。ありがとうございました」
「そうか、俺も、あんたの役に立っていたのか」

齊藤君のラボ

 齊藤君は10年前の初期研修医だから、マッチング制度の初期の頃だったはず。もちろん、マッチングについては、いろいろ言いたいことがある。しかし、その制度で育ったひとりが、異国の地でこうして立派に働いてくれているのは、単純に素晴らしいと思う。彼がどんな仕事をしているのかは知らないし、申し訳ないが興味もない。ただ、少しだけでも関わった者としては、その成長ぶりをこんなふうに実感できることほど素晴らしいことはない。
 もちろん、僕が教えなくても、長崎でなくても、こういう人は立派に生きて行ったであろう。でも、真新しいラボで、彼がフィリピン人スタッフと楽しげに話している姿を見ると、正直、泣けるほどうれしかった。


■関連サイト
SLH - Nagasaki Research Labo(Facebook)
長崎大学病院熱研内科の海外活動(フィリピン)