「海外で働きます。100パー、そうすると思います」
 将来どうするのか?と聞いた僕に、彼は淡々と答えた。カンファレンス室でカルテを打ちながら。遠くに大村湾を眺める病院で、僕は総合診療科の医長として、齊藤君は研修医として働いていた。
 齊藤君は鳥取の出身。地元の医学部を卒業して、長崎にやってきた。縁もゆかりもない長崎に来てくれる研修医はそれなりの数いるのだが、ほとんどの人は研修が終わると、またどこかに旅立っていく。齊藤君は長崎に残った。長崎大学の熱研内科に入局し、関連病院で働いた後、リバプール大学熱帯医学修士課程を修了、その後、タイ北部のミャンマー難民支援施設でボランティアをした経験をもつ変りダネだ。

「先生、いらっしゃってたんですか!」
 白衣を着た笑顔の女性が小走りにやってきた。
 N子。こいつも変りダネ。東京の有名私立大学を卒業後、長崎大医学部に再入学して卒業後も長崎に残り、去年まで研修医だった。現在、熱研内科でシニアレジデントとして働き、1カ月のフィリピン研修で来ている。よくしゃべる。なんでも楽しそうに話す、快活で楽しい子だ。こちらのレジデントに付いて回って研修しているようだ。
「すごい症例があるんですよ! 日本では絶対見られない症例がたくさんあって、これから回診ですから、先生も一緒にどうですか」
「……(汗)」
<もう十分。おなかいっぱいなんです。かんべんして〜!> 
 幸い、齊藤君が僕を連れ出してくれて、ほっとする。

研修医部屋は日本と変らず、雑然としていた。

 事務所にもどる途中、病棟横にあったレジデント室に寄った。
 小さな机が壁際に並び、真ん中にテーブルがあった。机には本が放り出され、飲みかけのペットボトルが置いてあり、椅子には白衣がだらしなく掛けられている。日本の研修医部屋と変らず、雑然としている。数人の医学生とレジデントがいて、齊藤君は、彼らを世話するシニアレジデントの女性医師と話していた。何を話しているかわからなかったが、彼女が齊藤君に尊敬の念を抱き、感謝しているのはわかる。
「ここに日本の研修医を1カ月放り込んだら、実力つきますよ」
「確かに。否が応でも、英語でコミュニケーションとらないといけないからね。これはいい!」

<齊藤君、そうなのよ、そうなのよ、あたしゃぁ、こんなことをやりに来たのよ>
 1カ月の研修プログラムを確立しに来たのだ。研修環境を確認して、内容を詰めるのだ。さあ、そろそろ本領発揮。僕は齊藤君のオフィスにもどり、3人の女性とテーブルを囲んだ。エドナ先生、フライコ先生、ロナ先生。どこの国も教育担当者は、女性が多い。僕の教育学の師匠もカナダ人の女性。Helen P Batty教授という世話好きのおばさんなのだが、それについて質問すると、「女性は母性が備わっているから、子どもを育てる能力とともに、教育の潜在能力があるのよ」と言っていた。なるほど。
 あらかじめ、ざっと英語で書いてきたプログラムを広げ、説明した。こういうのは得意なのだ。感染症であろうが、循環器であろうが、外科であろうが、教育プログラムの作り方は同じだ。目標を設定し、達成するための道筋を作るという考え方は、ビジネスも同じだ。さらに言えば、構造主義的な考え方においては……。

教育担当のエドナ先生、フライコ先生、ロナ先生と研修環境についてミーティング。

 わかってますって。そんな話に誰も興味がないことは。しかし、3人の女性の先生は興味深く聞いてくれて、
「当直もさせたらどうなの」
「ファミリーメディスンも見学させましょうか」
 建設的な意見を次々に出してくれた。僕は嬉々として、彼女たちの言葉を聞き漏らさないようにメモをとる…ふりをする。彼女たちの話は、半分くらいはわからなかったが、確信した。成功する。彼女たちの協力があれば、うまくいく。
 僕は、齊藤君からもらった冷たいミネラルウオーターで喉を潤した。長崎から持ってきたカステラの効果も抜群だ。よかった。フィリピンの人は甘いものが好きなのだ、事前に通ったYの「フィリピン学講座」の効果も出ている。