貧民街の前を通ってサンラザロ病院に向かう

 ポロシャツ姿の齊藤君はロビーで新聞を読んでいた。
 その光景があまりにフィリピンで、思わず「How are you!」と声をかけてしまったが、「どうも、お疲れ様です」と淡々と返されてしまった。こちらとしては初めてのフィリピンで、昨日は眠っておらず、テンションもマックス。タクシーのこともトイレ修理のことも話したくてたまらないのだが、彼は「行きましょうか」と言って小さなリュックを背負い、そそくさと歩き出す。
 気温は25℃を超えているだろうが、思ったよりからっとして気持ちいい。2月がベストシーズンらしく、朝日の中、人ごみの中へ入ってゆく。マニラの渋滞は有名らしく、車、バイク、バスが連なる。どれもかなり古く、乗り物というより鉄くずという感じで、「よくもまあ、こんなんが走るなあ」と、いちいち感心する。クラクションの音はあちらこちらで破裂するように鳴り、妙に甘ったるい匂いを運ぶ風が白いエンジンガスを散らす。騒々しい空気の中にエネルギーは満ち、メトロ・マニラの活気あふれる一日が始まっている。その中を、向こうまで渡る。信号もあってないようなものだから、タイミングが難しい。急いで、齊藤君のリュックを追いかける。
 道端には、広げたブルーシートの上に、靴、化粧品、髪飾り、Tシャツ、時計…何でも売っている。屋台では朝からビールを飲んでいたり、出勤前の学生やサラリーマンが食事をしていたり…、人をかきわけて、ペドロビル駅へたどりつく。
駅では、一人ひとりのバッグを開けて警備員が中身をチェック。デパートとか劇場もこれをやるらしく、病院でもやっていた。警察官や警備員はどこでもいる。貧しい国だが、このテロ対策コストは相当だろう。
 駅の切符売り場でもルビー・モレノに「ハ〜?」という顔をされながらタユマンという駅までのパスを20ペソ(約50円)で買う。切符ではなく、カードを自動改札に入れる。路線はLRT(軽量高架鉄道)といって、日本の車輌が円借款で購入され、メンテナンスやオペレーションなどの技術支援も行われているらしい。

ようやく到着したサンラザロ病院の前で齊藤君と

 電車は満員で、リュックを前に回し、胸にかけて立つのが流儀らしい。僕らもリュックを前に回し、つり革を握る。日本と同じような通勤電車だ。スマホをいじっている人は多い。新聞を読んでいる人もいる。よくよく考えるとホテルから出て電車に乗るまでは、日本と同じフツーの通勤風景なのだ。しかし、ずっと感じていた違和感がここにきてさらに大きくなる。なんだ?
 ネクタイをしているのは僕だけだからか? 違う、違う。黒縁の眼鏡をかけてるのは僕だけだから? 違う、違う、そんなんじゃない、僕が感じているのは……。もう一度見渡してみる。
 若さ。
 そう、みんな若いのだ。ここまで出合った何人ものルビー・モレノも、ガードマンの男たちも、道を歩く人たちも電車の中の人たちも…、若い。日本より圧倒的に若い。大都会のマニラだからもあるのだろうが、こんなに沢山の子どもや若者を街で見たのは初めてかもしれない。当たり前のことだが、若さというのは、圧倒的なエネルギーを放つのだ。

「着きました。サンラザロ病院」
 なぜか玄関前にバスケットコートがあり、若い人たちがボールを追って汗を流している。右手の建物には、あふれるほどの患者が列をなし並んでいる。年を取った人もいるが、患者も子どもや若い人が多い。
 サンラザロ病院。
 病床数約500の国立感染症専門病院。年間1万5000人を超える感染症患者が入院してくる。デング熱(天狗熱ではなかった、笑)が、最も多いらしい。長崎大学病院初期臨床研修医の短期研修プログラムをこの病院で立ち上げるために、僕は10年前の教え子、齊藤君を頼って来たのだった。

「『斉藤さんゲーム』知ってる? 今、日本で流行っているんだけど」
 齊藤君に聞いてみると、笑ってくれた。

午後になって一息ついた、サンラザロ病院の待合室


 今回から5回にわたり、崎長氏のフィリピン紀行をお届けします。感染症病棟に、スラムに飲み屋街……。季節は一気に秋めいて来ましたが、行く夏を惜しむ(?)暑い訪問記をお楽しみください。(編集部)