日本の整然とした渋滞ではない、混乱と混沌

<これくらいのトラブルは織り込み済みだ、心配ない>
 気を取り直し、タクシーの連なる乗り場にある受付のテーブルで、
「キンバリーホテル」
 僕がそう言うと、おばさんが、「ハ〜?」という顔で見上げる。おばさんはトランシーバーを持ったおじさんを呼ぶ。通じないのだ。僕の英語は、通じない。
 カナダへの留学でトロントに着いた日に、マクドナルドで「プリーズ、コーヒー」と注文すると、金髪のバイトのお姉さんは「ハ〜?」という面倒そうな顔をして店長を呼んだ。不審者扱いされそうになり、逃げ出した。一生忘れない彼女の「ハ〜?」。まあ、それに比べれば、同じ「ハ〜?」でも、フィリピン人の方が優しそうだったが、RとLの入った発音しにくい「Kimberley Hotel」を勧めてくれた、齊藤君をうらめしく思う。
 なんとかタクシーに乗り込むと、渋滞、渋滞、大渋滞。日本の整然とした渋滞ではない。混乱、混沌といった感じの渋滞だ。
 バイクはガンガン車線変更し、人を山ほどのせたトラック(ジブニーというらしい)は縦横無尽に行きかい、歩行者も目の前をどんどん渡る。絶対、事故起こるでしょう!
 信号って何のためあるのよ? アブナ! アブナ〜イ! おじさん、車道で、新聞売るなよ。コツコツコツ。窓を叩く音。目が合った。あ〜、子どもじゃん。何かを売ろうとしている。テレビで見たことがある。これがストリートチルドレンか……。
 
 そんなこんなで、到底たどりつく感じもなかったのだが、なんとかホテルへ着く。
「なんとかなるもんだ〜」
 とりあえず、ここまでは想定内。ガードマンがドアを開けてくれる。
「セ〜ンキュー!」
 舌をかんで「Th」を発音し、無駄に大きな声をあげる僕。ちょっと興奮しているのだ。規律と整然を好む国から来た人間が、たった90分の渋滞に巻き込まれたせいで、無秩序で騒然とした街のエネルギーを享受しはじめている。
<なんか、楽しそうじゃないか、フィリピン? いやいや、ここで気を抜いたらダメだ>と自分に言い聞かせる。
 ホテルのロビーは、清潔感漂うこじんまりとしたものだった。
「2000ペソをディポジット(預かり金)で払え」と、これまたルビー・モレノ風のお姉さんに言われていると理解するのに時間がかかった。3泊4日の6万5000円のパックツアーなのに、要るか? 
「ペソは持ってない」と言うと、「YEN, OK」。2000円を払う。朝食は何時からか? と尋ねると、
「付いてない」。
「そんなことはない。調べてくれ」
「わかった、マネージャーに確認するワネ」
「セ〜ンキュー!!」

フィリピンの初めての朝は、初めて鶏の声で起こされた

 結局、翌朝の朝食は食べなかった……。食べられなかった。
 歓楽街の真ん中にあるホテルの喧騒の中で、目を閉じてみたものの眠れず、まどろんだと思ったら鶏の声で目覚めた。
「コケコッコー」
 たぶん、僕の人生の中で、鶏の声で起こされたのは初めてだったと思う。それが、これから「初体験」が続々と起こるという合図だったと気づいたのは、ずいぶん後、日本に帰ってからだった。
 最初の「初体験」は、トイレ修理。水が流れない!
 そんなに悪いホテルではない。バックパッカーが泊まるような安宿ではなく、部屋は広くリゾート風のシンプルなつくりで、キッチンもある。ただ、トイレのレバーがゆるんでいるのだ。蓋を開けて、ポンプとチェーンの位置を確認し、構造を理解して、手をつっこみ……、とやっていたら、朝食を食べそびれた。ちなみに、トイレでトイレットペーパーを流してはいけない、それもYから学んできたのだが、書き始めると長くなる。興味がある方はこちらのサイトなどをご覧ください。