勇人君は12人のウオークイン患者の診療を終えた。
 1年前と比べるとずいぶん成長し、ほとんどをひとりでこなせる。あとは、もう少しアセスメントを深めて、治療薬の幅を増やそう。こんなアドバイスをして、僕らは帰りのタクシーに乗りこんだ。
 雨は上がっていたが、三菱造船所から帰る車の渋滞にはまってしまった。専門医制度の話をぶり返したが、答えの見えない堂々巡りがまた続くので、いつの間にか2人とも眠ってしまった。
 気が付くと大学病院に着いていた。
「じゃあ、僕は、一度病棟に上がりますから」
「OK、俺は今から医師会の会議に出るから」
「9時に思案橋ですね」
「うん、軽く1杯だけな」
「先生の1杯は、いっぱい…という噂ですよ(笑)」
「それは、大昔のこと。最近は、10時半に帰る(笑)」

 金曜日の思案橋は少しにぎわっていた。
 熊本震災の後はかなり自粛ムードがあったようだが、観光客も徐々に戻ってきているらしい。しかし、まだまだだ。
 結局、勇人君は来なかった。8時半過ぎに電話がかかってきた。
「急用ができて…」
「わかった、いいよ。この次で」
「すいません…」
 理由は聞かなかった。年頃の彼には、いろいろあるはずだ。いくつか思いつく。タクシーの中で彼がつぶやいていた。
「なんで、長崎の人って、地元愛がすごいんですかね」
「う〜ん、別に長崎に限った話じゃないんじゃないかな。地方に暮らす人たちは、自分の街が好きなんじゃないの?」
「そうですかね〜、特に女の人は地元ラブが強い感じがするんですが〜」
「そうかな〜」

 このやり取りから、僕は想像する。
 勇人君は、長崎の女性(研修医? 看護師? 医療関係じゃない人?)と知り合った。とても素敵な人で、彼のストライクど真ん中。激しい研修生活の中で、熱い恋に落ちた。
 当然、将来を考えたい。結婚してもいいと思う。夢は広がる。彼女を関東に連れて帰り、将来的には父親のクリニックを一緒に継いでもいいのではないか。それならば、父の出身の整形外科への入局を考えてもいい…。そんな選択肢がある。
 しかし、彼女は長崎から出てゆく気はない。
 なぜならば、彼女はひとりっ子で、県外の大学から卒業して帰ってきたばかりだ…。関東に行くことは難しい。
 勇人君は彼女が一番だから、この街に残るという選択肢も浮上する。それなら、もともと興味のあった小児科に進んでもいいと思っている。でも、自分たちはハッピーかもしれないが、これまで迷惑をかけてきた関東に住む親は…。

 あ〜、そもそも俺は彼女のことをどれくらい好きなんだ? 彼女は俺のことをどれくらい…。
 考え出すと止まらない。それだけで大変な恋愛(結婚)問題に、専門医制度の問題がのしかかるのだから、ダブルパンチだ。
 ああ〜、どうしよう。8月までに、この重大なふたつの問題を決めなければならない(泣)。
 
 僕はひとり、ハイボールを傾けながら妄想にふけっている。勇人君には怒られるだろうが、これで一本、小説が書けそうだ。
 今年の夏は、暑くなるという。6月でもう夏日が続き、ダムが干上がっている。研修医の先生たちにとっては進路を決める夏。眠れない夜が続くかもしれない。

 勇人君、ひとつだけ言えるのは、「選択とは捨て去ること」だ。
 選択には必ず痛みが伴う。そして、良い選択は、直観と飛び込む勇気がそろったときに行われる。勇人君、君の答えは決まっていると思う。ただ、自分が気づいてないだけだから、大丈夫。必ず、時が解決してくれる。来年の今頃は、笑顔で後期研修をスタートさせている…はずだ。
 さて、10時半。路面電車に揺られて帰ろう。明日も早い。