6月の雨の中をタクシーは走っている。
 曲がりくねる湾岸沿いの一本道を、郊外へ向けてスピードを上げる。路面の雨を切る音が車内に響く。濡れた窓ガラスの向こうには、造船所から伸びる背の高いクレーンが、次々に流れてゆく。
「長崎は今日も雨だった…ですね」
 後部座席に座る東島勇人君(仮名)は、ぽつりと言う。関東出身の彼は、2年次初期臨床研修医。
「へ〜、古い歌、知ってるんだ」
 僕は少し驚いて彼を見た。髪をつんつん立たせた、今どきの細身の草食系男子という感じであろうか。
「おじいちゃんがよく歌ってました」
 父ちゃんじゃなく、じいちゃんかい!と、突っ込みを入れたくなったが、26歳の彼の父親は、まだ50歳を少し超えたところ。祖父が75歳と聞けばうなずける。

 今日は、長崎の郊外にある大学の関連病院で、午後のウオークイン外来研修。半日で10〜20人ほどの患者を研修医の勇人君が診察し、指導医の僕がチェックするという研修であるが、実はマンパワー不足の関連病院のお手伝いも兼ねている。
「なんで、見ず知らずの土地で研修しようと思ったの?」
 毎年数人、勇人君のような長崎に縁もゆかりもない人がやってくる。
「感染症に興味があったのと、離島にも行ってみたくて」
「そっか、1年たってどう?」
「トライアングルコースで、大学で感染症を6カ月勉強したし、3カ月は離島の病院にも行ったし、3カ月は市中病院でいろいろやらせてもらい、満足してます」
 その言葉を聞いて僕も満足したが、一抹のさみしさもある。おそらく、彼は関東に帰ってゆくだろう。まあ、しょうがない。
 勇人君は、2年目の4月から6月まで、大学の整形外科で研修している。整形外科を志望しているのだろうか。
「後期研修はどうするの?」
「……。かなり迷ってます」
「迷うよね、専門医制度も変わるからね」
「新専門医制度ですか?『またかよ〜っ』て、感じですよ」
 勇人君は少し顔を歪めて、小さなため息をついた。
「小学校の時もそうだったし、中学でも、高校でも…」
 教育カリキュラムが変わり、そのたびに混乱を経験した世代のようだ。

 2年次研修医の多くは1990年前後の生まれ。いわゆる「ゆとり」第一世代から第二世代といわれる。国が「ゆとり教育」を実施し、小学生から中学生にかけて学校は完全週5日制度になり、「総合的な学習時間」が始まる。慌てた親たち(バブル世代が多い)からは塾通いを強いられ、高校入試の傾向が変わり、大学入試センター試験ではリスニングも始まった。
「いや〜、それだけじゃないんですよ。大学でも教養のやり方がマイナーチェンジしたりして、過去問が通用しなくなったりとか(笑)」
 確かに、全学教育(教養教育)の改革とか学部の実習の時間数の問題とか…。医学部でも大きな改革の前のマイナーチェンジが数々あったような気がする。逆に、「変わるぞ、変わるぞ」と脅されて(?)、変わらなかったりしたことも珍しくなかった世代。
 そのたびに「またかよ〜」。
 はっきり言って、彼らは何も悪くない。振り回したのは、我々大人の世代。おそらくバブルの上、団塊の世代あたりだろう。申し訳なく思う。でも、勇人君は怒らない。諦めを通り越し、達観しているようにも見える。「ゆとり」ならぬ「悟り」世代と言われるゆえんか。

「別にいいですよ。新専門医制度が始まっても、始まらなくても」
「どうして?」
「どうしてもこうしても、流れに従うしかないじゃないですか」
 やはり、怒りはあるのだろうか。
「早く診療科を決めろと言われてもですね…」
 話をよくよく聞くと、納得できた。彼のお父さんは、関東の端っこの方で整形外科を開業している。非常にものわかりのいいお父さんで、これまで自由にさせてもらった。関東を離れての研修も「いい経験になる」と、快く送り出してくれたそうだ。実家の整形外科を無理やり継がせようとも思ってない。
 勇人君は感謝している。それに、「自分は外科系の人間ではないと思う」とも言う。

「まあ、それはわからないけど」
 僕はそう言ったものの、確かに勇人君はいわゆる体育会系の肉食系研修医ではない。明らかに草食系だ。
「小児科での研修が楽しくて小児科医になろうかと思ったんですが、整形を回ると以外に面白くて…。家のこともあるし、他にもいろいろあって、結構、迷ってるんです。だけど、8月くらいまでに決めないといけないでしょう?」
「う〜ん」
 僕は唸った。はっきりした回答ができない。
「診療科だけでなく、関東に帰るか、長崎に残るかも迷ってるんです。来月、いくつか関東の病院に見学行く予定にはしているんですが、向こうの方もはっきり、いつ試験があるとか、何人採るとか、言わないんですよね」
「う〜ん」
 今、はっきりしたことを言える人は、全国どこにもいないだろう。