被災後半年が過ぎて、全国各地から続々と
 被災地での母子保健サポートは、走り出してから手探りで情報収集し、さらに進む、の繰り返しでした。のどから手が出るほど欲しいのに、どうしても見つからない情報も多々ありました。しかし、被災から半年を過ぎた頃、過去の被災時の母子保健サポートに関する貴重な情報が、次々に私の元に送られてくるようになったのです。

 特に、「阪神・淡路大震災のストレスが妊産婦及び胎児に及ぼした長期的影響に関する疫学的調査」(1996、兵庫県産婦人科学会)、『(社)日本助産師会 災害対策委員会報告書2010』を見たときには、「半年前にこれを読んでいれば!」と、叫びたい気持ちでした。

 「阪神・淡路大震災のストレスが妊産婦及び胎児に及ぼした長期的影響に関する疫学的調査」は、阪神淡路大震災の経験から、1996 年に兵庫県産婦人科学会の大橋正伸先生がまとめたものです。これには、阪神淡路大震災の被災地の妊婦さんのうち、当初分娩を予定していた病院で出産できたのは、3割に満たなかったと書かれています。

 宮城県石巻市では、東日本大震災後、妊婦さんのほとんどが自力で受診先を探しました。予定日直前まで分娩場所が見つからず、陣痛が起こってから自衛隊のヘリで搬送されたケースもありました。もし事前に分娩先確保という問題が認識されていたら、妊婦さんの所在を把握して妊娠経過や状態を診察し、受け入れ可能な病院の近くに搬送する、といった積極的な対応が取れたかもしれません。

 読めば読むほど、私たちは阪神淡路大震災から母子保健分野の対応を学んでいなかったのだと痛感します。この報告書の総括には、今回私たちが足を棒にして妊婦さんを探し、話を聞いた結果浮かび上がったのと、まったく同じニーズが列挙され、そして具体的な提言がなされていました。

<妊産婦の切実な声・10 の願い>
 「おなかの赤ちゃんは大丈夫ですよ」の一言が聞きたかった
 どの病院へ行けばよいのか途方に暮れた
 転院するにも、交通手段はなく長時間かかった
 救護所で妊婦健診をして欲しかった
 陣痛が起ったが救急車が来てくれなかった
 転院先で再度血液検査をされて高くついた
 罹災証明書で、妊婦健診料金を公費負担して欲しかった
 粉ミルク、水、紙おむつを優先配給して欲しかった
 行列や水運びに苦労した
 出産後、帰る場所がなかった

<災害時の妊産婦の取り扱いに関する十カ条の提言>
 母子健康手帳に災害時の対応について記載しておく
 母子健康手帳の出生届に被災状況の記入欄を設ける
 母親学級に災害時の対応についてのカリキュラムを義務付ける
 地区ごとに妊婦健診の場所を決めておく
 地区の産科医師、助産師、保健師は交替で健診を行う
(日ごろからの広域における顔の見える関係・連携作りのため)
 近隣府県の産科医師の救護班を早期に投入する
 移動できる妊産婦は可能な限り被災地域外へ移す
 そのための搬送手段を確保する
 災害時の妊産婦検診を公費負担とする
 出産後の母児の受け入れ先を確保する