「阪神・淡路大震災のストレスが妊産婦及び胎児に及ぼした長期的影響に関する疫学的調査」(1996、兵庫県産婦人科学会)を読んで、「半年前にこれを読んでいれば!」と、叫びたい気持ちでした。

 私はこれまで、実際に現地におもむく形で被災地の妊産婦やママの支援をしてきました。しかし、今後は違う形で支援を続けていこうと考えています。

 ハーバード公衆衛生大学院では世界中の健康や医療に関する問題を研究していますが、中でも、日本における新生児死亡率の低下や妊産婦死亡率の低下、その結果としての平均寿命の改善については、非常に高く評価しています。海外の研究者たちは、日本の制度を手本とし、学ぼうとしてきたのです。

 しかし、世界最高レベルの医療を達成し、妊産婦や乳幼児の生命が脅かされることが滅多に無くなった日本国内では、「お産で死ぬことはあり得ない」「妊娠は病気ではない」などといった“通説”が当たり前になり、妊産婦や乳幼児をハイリスクの弱者としてケアしようという意識が薄れています。

 性と生殖に関する健康(リプロダクティブ・ヘルス)は、次世代を産み出すという、極めて重要な社会の基礎を支えるものであり、本来なら、社会を挙げて取り組むべき分野です。なのに、医療水準が向上した結果、優先順位が下がっているというのが現状なのです。

医療従事者にも通じる母親のジレンマ
 「同じ母だからこそ何かできるはず」と被災地の妊産婦さんと接するうち、実感したことがあります。「母親は本音を言い出しにくい」「辛いと言い出せないので、ますます苦しい状態に陥る」ということです。妊産婦さんたちに「弱音を吐いていいんですよ」と言っている自分も、「同じような面があって苦しかったのかもしれない」と気付きました。

 医療従事者もそうですが、ほかの人のケアをするのが当たり前になっている立場ほど、人に「助けて」と言いにくい面があります。母親の多くは家族の「要」であり、いつも要援護者(特別なケアが必要なハンディキャップを持つ人たち、子供、お年寄り)のそばにいる存在で、シェルターのような役割を担っています。自分のことを後回しにして過重労働に陥りやすく、調子が悪くても、そんな自分を「ひよわだ」「怠けている」などと感じてしまい、なかなか代役を頼むことができません。しかも、子育ては当然の責務とされ、共感や同情が得にくい立場でもあります。

 マスメディアの震災報道でも、「震災の中で無事出産!」といった、おめでたい話ばかりが目立ち、出産前後に、妊婦さんや産後の母親がどれだけ家族の世話や育児、生活の維持のために苦労しているかに注目したものは見あたりませんでした。

また同じことを繰り返さないためにすべきこと
 妊産婦さんの体は、1人分より大きなエネルギーを必要とします。また母親は、本能的に子供を守ろうとするため、外界からの刺激や言葉、ストレスに敏感であり、安心して授乳したり、休息したりできる空間が必要です。ほかの被災者の方々も大変ですが、そんな中でも妊産婦には特別な空間を用意してあげなければ、とりわけ大きなストレスを負うことになります(文献1〜9)。

 また災害時には、新生児や乳幼児が命を失うリスクが通常時の50倍にもなります。これは、途上国支援をしているWHO(世界保健機関)のパンフレットなどでも言われていることですが(文献5、10、11)、先進国日本では、残念ながら、自分たちに関わりのある問題として受け止めていませんでした。