東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞いを申し上げます。

 私は日本プライマリ・ケア連合学会事務局職員の井垣敦と申します。PCATで“裏方仕事”全般を担当しております。今年3月に当学会に転職して来たのですが、赴任後すぐの週末に、東日本大震災が発生しました。3月13日には当学会に「東日本大震災支援プロジェクト対策本部」(PCAT東京本部)が立ち上がり、私はその翌日から、専従職員として東京本部に詰めることになりました。

 私は医療従事者ではありませんので、御茶ノ水のPCAT東京本部で、被災地入りする医師の方々のサポートをしています。例えば、移動手段や携行物品の確保、現地からのリクエストへの対応、現地入りする方々への事前研修の運営などです。このほか、広報業務の一部や、全体の予算管理なども担当しています。

 PCATは数年にわたる長期的な支援を掲げています。今後、ここ「PCAT便り」で、様々な情報やメッセージを息長く発信していきたいと思いますので、よろしくお願いします。今日は、本部運営の担当者として、医療支援チームを被災地に派遣するために、どんな準備や後方支援が必要か、ということをお話したいと思います。

一人を送り出すのにこんなに骨が折れるとは・・・
 プロジェクトが発足した震災直後、支援医師の方々を被災地に派遣するには、問題が本当に山積みでした。特にネックだったのは、交通手段と食糧の確保、つまりロジスティクス面です。

 気仙沼はPCATの支援する地域の一つですが、東北自動車道の復旧前は、空路で山形空港まで行き、そこで何とか確保した車で200キロメートル余りを移動していました。食料は買い占め騒ぎがあったためか東京でも品薄で、事務局スタッフが周辺のコンビニやスーパーを駆け回ってもらってようやく1週間分を確保し、お持ちいただきました。

 東北自動車道の開通後は、乗用車と緊急車両通行許可証を確保し、東京本部と現地の支援活動拠点3カ所(岩手県藤沢町ハブ、宮城県涌谷町ハブ、福島県天栄村ハブ)との往復ができる体制を作り、これをベースに支援医師の移動スケジュールを組みました。帰路については、現地と連絡をとりながら、最新の状況に応じてルートを決めました。

 それにしても当初は、ガソリン携行缶やスタッドレスタイヤなど、必要不可欠な物資のほとんどが、売り切れや入荷日未定でした。レンタカーを借りるときも、行き先が「東北方面」だと言うと、現地の混乱を防ぐためなのか、貸してもらえないことがありました。最終的には医師の方々のお知り合いや、協力を申し出ていただいた方々のおかげで、さまざまな物品を確保できたのですが、これほどまでに困難な状況になるとは予想もしていませんでした。

 幸い4月中旬には、仙台まで長距離バスの運行が始まったので、バスを乗り継いで行けるようになりました。現在は、さらに東北新幹線が開通していますので、短時間で現地入りできるようになっています。

派遣医師のスケジュール調整に手間取る
 プライマリ・ケア連合学会としてこういった活動をするのは初めてのことで、運営面でどのような問題が発生し、どう対処するのか、というノウハウは全くありませんでした。そのため、さまざまな問題への対応がどうしても後手に回ってしまいました。

 活動当初は、「現地に行きたいので派遣登録をしたが、未だにPCAT本部から連絡が来ない、用意はできているのですぐにでも行かせてほしい」という問い合わせを多くいただき、大変ご迷惑をおかけしました。派遣募集を始めた頃は、現地入りされている方は3〜4人だったにもかかわらず、派遣登録される方の数は、日に20〜30人のペースで増え続けている状態でしたので、本部の対応が追い付かず、このような事態になってしまいました。

 もう一つ頭を痛めたのが、引き継ぎ問題でした。1週間ほどで支援メンバーは交代するのですが、次のチームの到着前に、前のチームが帰路についてしまう(帰らざるを得なくなってしまう)事態が発生し、「これでは引き継ぎができない」と、被災地の支援先から指摘がありました。