東日本大震災から2週間が過ぎた。テレビとパソコンの前で、身じろぎもせずにニュースを見て過ごした震災直後と違い、ほんの少しだけ落ち着いて物事を考えられるようになった。いまだに避難所にいる方々、家族や家を失った方々、放射線の影響におびえて暮らしている方々のことを思うと、心苦しくてうまく息さえできないような気がする。ご遺族と被災者の方々へ、心からお悔やみとお見舞いを申し上げたい。

 3月11日金曜の朝、テレビも付けずに朝食を取っていた私は、香港にいる義父母からのメールを見て日本で地震が起きたことを知った。「日本のみんなは大丈夫ですか。サヤカのお母さまはまだ日本にいるの?」。一時帰国で東京にいた母の安全はすぐに確認できたが、テレビで津波の映像を見て、頭の奥が麻痺してしまった。

 そのまま、いつも通りクリニックに出勤すると、同僚たちから繰り返し、「日本の津波の映像を見たよ。車とかが流されていたね」と言われる。「家族は日本にいるの?アメリカにいるの?大丈夫?」と聞かれ、「家族は日本にいるけど無事だ」と言うと、「じゃあ、良かったね」と言われた。「良くない!今でも瓦礫の下で埋もれている人が、波にのまれている人がいるんだ!」と言い返したかった。でもそんなことを言っても仕方ないことは分かっている。やるせなかった。

 医療で貢献するとしたら、どの団体を通せば東北へ行けるのか。Webで検索しても出てこない。知り合いにメールを出して聞いたが、答えはない。そんな中、「在米上級実践看護師(APN)とPAの会」のメーリングリストを通して、ボストンに住む在米上級実践看護師(APN)仲間である原田奈穂子さんが、仙台の病院を通して医療ミッションに行くこと、そしてほかにも行く人を募集している旨を伝えてきてくれた。すぐさまもう一人のナースプラクティショナー(NP)と、2人のフィジシャン・アシスタント(PA)が名乗りを挙げた。私も医療ボランティアに手を挙げようとしたが、夫や家族の反対などもあって実現しなかった。ちなみに2人のNP、PAは、支援のとりまとめを行う医師と相談した結果、仙台行きは4月以降になるという。

 それからは、色々入ってくる情報を仕分けし、他の人々へ回し、ブログに載せ、東北に向かうNP、PA仲間と連絡し合い、刻々と変わるニュースを聞いているだけで、週末が過ぎた気がする。在米日本人の間でも募金活動など、「できることで貢献しよう」という動きが高まっていた。

 週が明けても、仕事場で診療の合間にはインターネットのニュースを読んでいた。続いて大地震が起こる可能性があるというニュースを読み、放射線の被害が拡大しつつあることを知り、関東に家族のいる私はいてもたってもいられなかった。ニュースを一日中見ていると胸がどきどきしたり、痛くなったりする。「そうか、これがパニック障害の患者さんがいつも言ってることなんだな」と、患者さんの気持ちを初めて理解できた。

衝撃から感心へと変わった米国人の反応
 ニューヨークの私の周りの人たちの反応は、日を経るにつれ、衝撃から同情や感心に変わっていった。「原爆の悲劇を知っている日本が、また原子力の恐怖で苦しむことになるなんて」という同情の声を多く聞いた。

追悼式の様子。牧師だけでなく、僧侶や白装束の神主の方もいらしており、今回の震災が宗教を超えた、人類への打撃であることを思い起こさせた。

 また、多くの人が口にしたのが感心である。避難所でゴミが分別されている様子、被災地で列に並んで水を待つ人々、計画停電以外にも全国で自主的に節電が行われていることなどは、米国でも繰り返し大きく報道された。同僚の医師曰く「私たち米国人は野蛮人だから、こうはいかないわ」とのこと。私は日本人であることを誇りに感じた。自分の命と引き換えに働く原子力発電所の方々も、当然のことだがメディアで英雄として扱われていた。

 同時に、こちらの人々が恐怖にとらわれているのも事実だった。チェルノブイリの時でさえ、遠く離れたアメリカ本土に何の影響も与えなかったというのに、今回の地震の数日後には、ヨウ素の買い占めが横行して、ネットでさえ売り切れるところが続出した。ニュースでも米国への影響を議論している。