飯舘村に設置された線量計

 日本中がバブルに浮かれていた1986年にチェルノブイリ原発事故が起こった。円高デフレの中で拝金主義が横行する空虚な2011年に東日本大震災が起こった。今、日本は何を見て、どういう方向へ進もうとしているのか。

 私は福島県の人たちを前にして、自分の生きる希望を考え続けていた。しかし、いろいろな人と出会っていく中で、それを問うことの無意味さも同時に思い抱くようになった。

 やがて放射能の飛散が止まり、炉心がうまく冷却され、長期安定状態に達し、完全に遮断密封することが、水棺であれ石棺であれ、うまく成功したとしても、「事故が済んだ」などとは、もはや思わない。被災地の住民は、被災地で生きていくことへの何某かの希望がなければ、戻りたくても戻っては来ないだろう。

 彼らにとっての希望とは、一体何だろう。

 夜の食事会で私は、「相馬港で自転車に乗った2人連れの若者を見ました」と相馬市長に告げた。「もしそうだったら嬉しいけど、それはきっと地元の人ではないね。そういう余裕はまだ市民にはないよ」という言葉が、最後まで印象的だった。

 福島市在住の一般の方には、「いろいろな人が福島のことを報告していますが、地元の人はどう思っているのですか?」と聞いてみた。

 「どういう形にせよ、福島について伝えてくれる人がいるのは悪いことではない。仲間がいると思っているよ。私たちにとっては永遠の問題なので、(他の地域の人の)記憶が薄れないようにこれからも頑張っていくしかないね」と語ってくれた。

 結局私は福島でも、結論めいたことは何ひとつ見いだせなかった。だが、人の懐は(平穏な)海のように慈悲深く、志は岩のように堅固であると知ることはできた。そこに一筋の希望は見えたような気がした。

 私に今できることは、「忘れないように記憶し、記録しておく」ことだけだった。だが、そこから始めることで、今後いつまでも“事あるごとに”、いや、事がなくても関心を持ち続けられるよう、考えを整理していくつもりである。